Geeklog Site http://ho-gas.com Another Nifty Geeklog Site sn3@ho-gas.com sn3@ho-gas.com Copyright 2011 穂ガスドットコム Geeklog Mon, 12 Dec 2011 14:22:50 +0900 ja ピアノソナタ第21番変ロ長調D960における情景描写の仮説 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820177 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820177 Mon, 12 Dec 2011 06:39:26 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820177#comments シューベルト <p>これは2009年12月に書いたテキストを再度修正加筆(焼き直)したものです。</p> <p>シューベルトのピアノソナタに関するレビューをを後ろから書いていこうと思いつつ、最初の一つ書いて丸2年放置してしまい(汗)いっそこれも書き直そうと思った次第であります。</p> <p>晩年のピアノソナタ3部作(d958、d959、本作)の最後を締めくくる作品で、シューベルトにとっても最後のピアノソナタです。「遺作」なんていわ れてたりするようですが、遺作(レリーク、d840)とか、未完成(d759)とか、他にもいくつかあるようで、これは埋もれた作品を発見した方の宣伝文句だったのかもしれないし、単に当時一番古いと思われたものが次々に遺作としてデビューしたのかは知りません。とにかく紛らわしいですが、シューベルトにとって本当の意味で の遺作は歌曲集「冬の旅」のようであり、そういう意味では本作も「遺作風」くらいのネーミングが適当かと思われますが、それまた締りが悪いというか、それなら「最後のピアノソナタ」くらいにしたほうがいいでしょう。</p> <p>シューベルトのピアノソナタの中でも最も多くの人によって演奏される曲の一つでしょうか。</p> <p>それはやはり人気の曲であるといえるのかもしれません。しかし、この幻想的なピアノソナタは、18番(まさしく幻想という副題のつく!)に比べてある意味トランス状態のような、より覚醒的というか、鎮痛剤を服用した後のような、つまり根底には根深い「痛み」を現しているかのような作品です。</p> <p>実際にこの作品を書いたのは晩年(といっても31歳ですが)であること、その際の痛みは彼自身の当時としては不治の病「梅毒」の痛み、治療の痛みというよりは心の痛みであったのではないかと思いますが、この作品の中で痛みを治療しているといえるのではないかと思うのです。それは同様の心の痛みを持つ人々にとって「鎮痛剤」としての効果をかもし出すのでしょう。それがこのソナタの人気の秘密ではないかと思います。</p> <p>シューマンが「天国的な長さ」と評したのはハ長調交響曲第9番「ザ・グレイト」(D.944)だったようだが、何故かこの曲も「天国的」と評されているケースが多いように思います。<br /> 元々、「天国的~」というのは誉め言葉ではなくて「退屈になるほど長い~」という含みがあるのかもしれません。<br /> シューマンがそういった含みを持って「グレイト」を評したのではないかもしれませんし、この曲を聴いた視聴者が感ずるところの「シューベルトは天国的?」ということについても私自身はさほど興味はありません。<br /> しかし、シューマンの意図はともかく「シューベルト=天国」の図式は実際にあるような気がしますし、「癒しのシューベルト」という効果は実際にあると思います。<br /> <br /> 村上春樹氏が『海辺のカフカ』の中で、「不完全で天国的に冗長で、すべてのピアニストが例外なく二律排反の中でもがく」と、登場人物に評させているらしい(というのも私自身実際に読んでいないので定かではないのですが)それはどうやらピアノソナタ第17番ニ長調(D.850)の第2楽章のことらしいです。</p> <p>噂というか、元の情報が彎曲しているケースはネットのlogに限りません。<br /> 人間という生き物は悲しいもので、そういわれるとどうしてもそう聞いてしまいます。これは<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4762801682/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;tag=hogas-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=4762801682">しろうと理論</a><img width="1" border="0" height="1" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hogas-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=4762801682" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />を形成する元概念であるかもしれません。 <br /> 私も例外ではなく、この長い長い第一楽章を聞く前からそういう意味での天国的刷り込みイメージが最初からあった訳です。<br /> だから第1楽章の主旋律に続く低音トリル部分に対して納得がいかず、おそらく・・・この作品はこのトリル部分にシューベルトのキーワードの一つ「痛み」を表現したのではないか、と考えました。しかし、その仮定によると、やはりこの作品は感情表象に成功しているとは言い難く、多くのピアニストはどう思ってこの曲を弾いているのだろうか?なんて思っていた訳です。<br /> (私はピアノ弾きませんので・・・単なる妄想の域を出ませんが)<br /> <br /> つまり、おそらく21番は偉大なる失敗作、不完全なつぎはぎだらけの曲なのか、ビートルズのアルバム「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00267L6V2/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;tag=hogas-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00267L6V2">アビーロード</a><img width="1" border="0" height="1" style="border:none !important; margin:0px !important;" alt="" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hogas-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B00267L6V2" /> 」のようなものか、なんて思っていたりした訳です。(バカにしている訳ではないので誤解のないよう。私もつぎはぎ(コラージュ)的傑作という意味で<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00267L6V2/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&amp;tag=hogas-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=1211&amp;creativeASIN=B00267L6V2">アビーロード</a><img width="1" border="0" height="1" style="border:none !important; margin:0px !important;" alt="" src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=hogas-22&amp;l=as2&amp;o=9&amp;a=B00267L6V2" /> は好きなアルバムの一つです)<br /> <br /> イメージとしては、死を意識したシューベルトがその痛みの中でときおり痛みが和らぐ際に、天に昇るかのように安堵し、今までの記憶、後悔、懺悔、楽しかった思い出、そして美しい思い出が霞みつつある意識の中で、走馬灯のように噴出する。しかし左手のトリルで表現された痛みによって現実に戻される、「自分はまだ生きている、そして苦しんでいる」と。<br /> まあ、こんな解釈をしていた訳です。<br /> しかし、こんな解釈だと、第一楽章以外の説明がつきません。<br /> そこで先の村上春樹氏ではないが、多くの人はシューベルトのソナタは不完全で、完璧ではない、という説によって納得をしてしまうのではないでしょうか。(少なくとも私はそうでした)<br /> <br /> しかし、先日真夜中にipodでこの21番を聞いていた際、唐突に、それらの解釈は間違っていたのではないだろうか?と思い当たりました。<br /> <br /> このソナタの一貫したテーマは、「残響」あるいは、「ディレイ効果(音を遅らせて反復再生すること)」です。<br /> 言葉を変えれば、それは反射を意味します。つまりその反射は「こだま」であり、対象は「山」、若しくは、「水」ではないかと。</p> <p>そして、この反復の遅れ「<a href="http://www.weblio.jp/content/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0" target="_blank">ディレイタイム</a>」は、「天空」つまり気体ではなく、液体、ようするに、「水面」低音トリルは「波紋」。<br /> <br /> イメージは、「湖畔」ではないでしょうか。<br /> <br /> この解釈によって、全ての楽章のイメージが統一されると思います。<br /> <br /> 第一楽章<br /> <br /> 変ロ長調って特殊な響きを持っているように感じます。<br /> この残響効果、救急車や列車などで実感出来る様に、遅れた音が自分の耳に到達し、通り過ぎていく際には音は低くなって聞こえるという効果を狙って作曲されたのでしょうか。この曲は天国的というよりも、アインシュタインの相対性理論的であるようにも思えます。<br /> テーマは「水」、(しかも湖)。季節は判りません。第4楽章が冬なら、春になるのでしょうか。しかし第2楽章が夏かというのにも疑問が残るので、この解釈は保留にします。<br /> とにかく長い曲です。時間の遅れを表現する上で、これ以上短くすると「単なる美しい曲」に成り下がってしまうため、この長さはどうしても必要になってくるのでしょう。<br /> <br /> しかし、湖のほとりを歩いている情景をイメージしながら聴けば、長さは全く気にならないし、むしろ短すぎるくらいでしょうか。<br /> 以前、この曲は天空を目指して上昇したり、落下したりする曲ではないかと思っていたのですが、その概念を少しばかり変えて、波紋がゆっくりと長い時間をかけて、湖畔に伝わる時点で小さな波になる、こういう情景をイメージしてこの曲を聴いてみれば、いかがでしょうか。<br /> とても穏やかな気持ちになれるのではないでしょうか。<br /> <br /> そして第2楽章。<br /> 一言で言えば、「沈痛」。<br /> あるいは、「暗黒」とても言えば良いのでしょうか。<br /> これほど落ち込んだ曲も少ないと思います。<br /> あまりにも「痛み」のイメージが先行してしまって、聞きたくない人もいるのではないでしょうか。<br /> それは先の、「天空」に昇る前の痛み、いわば「最後で最大の痛み」を無意識的に連想していたからなのですが。<br /> 実際には、この曲のテーマは「夜の湖」であったとしたら、どうでしょうか。<br /> 痛みではなく、第一楽章同様、穏やかで美しい湖畔であり、暗黒に包まれた恐怖。<br /> それは未知なものに対する恐れであり、神秘的な恐怖といえるでしょう。<br /> そこにはいくらかの「希望」もあるのかもしれません。<br /> 前編を包み込むディレイタイムは第一楽章に比べてとてもゆっくりとしたペースになっていますが、その残響の戻り値が鐘の音を連想させはしないでしょうか。</p> <p>私は、リストが「ラ・カンパネラ」を書いたとき、この曲のインスピレーションを早回ししたのではないか、などと勝手に連想しましたが、もちろん定かではありません。</p> <p><br /> 第3楽章<br /> 第2楽章の重厚さに比べればずいぶんとセンチメンタルというか、中途半端に可憐な曲なのかと最初は思っていました。<br /> しかし、これは中途半端な曲ではなく、知的な幼さに関わる曲、つまり若さへの情景なのではないでしょうか。<br /> 子犬のワルツのようではありますが、実際のターゲットはやはり人間でしょう。おそらくはシューベルトの憧れ対象は女性であり、テーマは湖畔でのデートかもしれません。<br /> 実際にデートしたかは定かではありませんが、火遊びならぬ、水遊びであり、遊びの要素で楽しい曲調に仕上がっているのでしょう。<br /> 残響効果、フラッシュバック効果というか、反射、エコー、音のやまびこ効果を存分に発揮させるために3拍子というのはとても効力を発揮するというか、正確にはワルツのリズムではなく、3拍残像なのですね、譜面を読んだわけではないのでよく判りませんが、同じ音が同じ大きさで返ってくるのが演奏として正解なのでしょう。トリプルフラッシュバックとでもいいましょうか。循環ではなく、繰り返しによるトラウマの消滅、治癒効果とてもいいますか、そのような意図も感じます。美しく、とても情愛に満ちた曲でありながら、計算されつくしたとても技巧的な楽曲、というのが正解でしょうか。<br /> とはいえ、シューベルトはこの曲を作る際に誰かインスパイアされたモデル(女性)がいたのではないかとも思うのです。<br /> そして、そのモデルの女性の美しさと脆さ、可憐かつ稚拙でさえあるその人となりを描き出す際に、曲の完成度が低いというよりはその女性の完成度(成熟度?)が低いという仮説も成り立つように思います。<br /> シューベルトはおそらく、そういった不完全な人間らしさを含めた全てを描き出すことによって、全方向性の愛というか、そういった表現をしたかったのではないだろうか。なんて思ったりもする訳です。</p> <p><br /> <br /> 第4楽章<br /> 一言で言えば、変な曲です。<br /> イントロドンで言えば即興曲(d899)第1番ハ短調と間違えるが、変ロ長調なんですね。<br /> これは、Wikipediaによればベートーヴェンの作品130弦楽四重奏曲の第二のフィナーレ冒頭の変形であるらしいが、元の曲を聴いたことないのでなんとも。<br /> 一貫したテーマの水、(湖)は凍っているかのようでもあり、左手の伴奏はスケートの進行、もしくはアメンボのように右左に進んでいるかのようです。<br /> 左手の主旋律はぎこちなく、犬の散歩のようでもあり、転げているようでもある。<br /> そういう意味でこの楽章のみ季節を「冬」と勝手に決めつけてしまいました。</p> <p>(後で変更するかもしれませんが)</p> <p>しかしその後(第2主題というのか不明)の展開はドラマチックで、まるで突然にオーケストラがやってきたかのようです。<br /> 3連のアルペジオが降り注ぐのは花びらなのか、雪なのか、雨なのかは判らないが、人間の情動を超えた何か、自然の力みたいなものを感じずにはいられないのだが、やはりここでもシューベルトは最終的に人間的な情念で持って、超越的な美しさを台無しにしてしまう、と思うのは私だけでしょうか。<br /> 19番第四楽章の悪夢の再来、シューベルトの原型は「さすらい人」なんだろうな、なんて思ってしまう訳です。<br /> それゆえにある意味、演歌的なのか?人気の秘訣なのか?知らないのですが。</p> <p>これはこれで素晴らしいんだが。<br /> 洗練された中に必ず無骨さも取り入れるというか、そういう部分が人間味とされる所以でしょうか。<br /> とてつもなく繊細で感傷的かと思えば、それを平然と踏み躙る不器用さ、だからやっぱりシューベルトは<a href="http://spysee.jp/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%81%AE%E3%83%9C%E3%82%B9/1324612/" target="_blank">ココロのボス</a>なんだな~と思います(謎)<br /> <br /> <br /> &nbsp; 最後の遺作として盛り上げてしまうと、「不完全」かもしれないが、残響効果を実験的にチャレンジした意欲的な職人芸と考えれば、シューベルトは後世に残るものすごく良い仕事をしたんだと思うし、別にシューベルト自身がこのピアノソナタを自らの集大成的「遺作」として書いた訳でもないと思うのです。</p> <p>そのような刷り込みを一度リセットした上で、再び聞いてみてはいかがでしょうか。</p> <p>ちなみに私のおきに入りはこれです。</p> <p>&nbsp;</p> <p><iframe scrolling="no" frameborder="0" marginheight="0" marginwidth="0" style="width:120px;height:240px;" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hogas-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=B00005FLPG&amp;ref=tf_til&amp;fc1=000000&amp;IS2=1&amp;lt1=_blank&amp;m=amazon&amp;lc1=0000FF&amp;bc1=000000&amp;bg1=FFFFFF&amp;f=ifr"></iframe></p> <iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hogas-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B005MJVNAU&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"> ...</iframe> 79.9kg http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744868 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744868 Thu, 14 Apr 2011 12:07:58 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744868#comments ボディ メイカーズ <p>ついに! <br />80キロの壁崩れる・・・</p> <p><br />実際の計測値は79.95でした。 <br />0.05キログラムって何グラムなんだろう?? <br /><br />ま、いっか~。 <br /><br />水飲んだら80キロ台に戻るっていえば戻りますが、そんな小さいことは気にしない! <br /><br />いや・・・というより目標まであと8キロ減量しないといけませんので(爆) <br /><br />まだまだ<a href="http://dietclub.jp/">ダイエット</a>道は終わることないのですね。 <br /><br />ということで、前回たまには計測するか~と言いながら放置していた体位即位記録。 <br />メジャー買って来ようと思ってつい忘れ(;^_^A アセアセ <br />結局妻に裁縫用のメジャーを借りました(最初からそうすればよかったか) <br /><br />ちなみに、2006年9月22日の記録表によれば。 <br />体重81.3 <br />胸囲114 <br />腹囲97 <br />上腕囲右37、左35.5 <br />大腿囲右56、左57 <br />下腿囲右39、左39.5 <br />前腕囲30 <br />手首囲18 <br />足首囲24 <br />首囲40 <br />体脂肪率21.5(16.1) <br /><br />そして今回、2011年4月14日 <br />体重81.0 <br />胸囲109 <br />腹囲94 <br />上腕囲右36、左34.5 <br />大腿囲右54、左56 <br />下腿囲右38、左39 <br />前腕囲29 <br />手首囲17 <br />足首囲24 <br />首囲49 <br />体脂肪率26.0 <br /><br />ちなみに、79.9kgは昨日出した数値。 <br />今日は既に1キロほど戻ってます(;^_^A アセアセ <br /><br />それより体脂肪率が・・・減りません。 <br />ま、いっか!(いいのか・・・) ...</p> 81.3 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820154 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820154 Sat, 09 Apr 2011 09:12:49 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820154#comments ボディ メイカーズ <p><a target="_blank" href="http://dietclub.jp/">ダイエットクラブ</a>においても日記サボリ気味ですが、こっちはさらに更新されておりませんな( ̄□ ̄;)!!</p><p>一応、こちらが超個人的ホームページのはずなのに、これでは遺憾です。</p><p>ということで、他で書き込んだらとりあえずこちらにコピペすることにしますね。</p><p>この姿勢が正しいかは不明ですが・・・<a target="_blank" href="http://dietclub.jp/">dietclub.jp/</a></p> <p><a href="http://dietclub.jp/diaries/2011/04/09/253464.html">ダイエットクラブ</a>より</p><p>体重減らん、というか増えました(爆)<br />う~む。<br />まあ、接触制限とかしっかりしてないし、最近夜、酒飲んだ後何かしら食ってる気もするし(;^_^A アセアセ<br />先日、肩を痛めてからなんとなくモチベーションが落ちている感があります。<br />ということで、ジムのロッカー横鏡に映る自分を盗撮してみました(爆)<br />ああ~やっぱり、腹回りがちょっとすっきりしてない感が( ̄□ ̄;)!!<br />パンツが小さくてキツイということにしておくか!<br />っていうか髪の毛伸びたせいか。<br />ってすべて単なる現実逃避か(T▽T;)<br /><br />思い切って購入したけど思いのほか不味くて毎日摂取していなかったムサシフアン・ファットメタボライザーを1日2回飲むことにしてみよう!<br /><br />後、体側データ、細かく測定してみましょうか。<br />温かくなってきたことだし(爆)<br /><br />ちなみに、2006年9月22日の大意測定記録表によれば。<br />体重81.3(偶然にも今日と同じ)<br />胸囲114<br />腹囲97<br />上腕囲右37、左35.5<br />大腿囲右56、左57<br />下腿囲右39、左39.5<br />前腕囲30<br />手首囲18<br />足首囲24<br />首囲40<br />体脂肪率21.5(16.1)<br />このカッコの数値は、なんだったのか・・・覚えてないです(爆)<br /><br />さて!<br />とりあえずメジャーがないので、買ってきてから計るか~。 ...</p> 筋肉痛が http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848356 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848356 Thu, 21 Oct 2010 10:44:46 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848356#comments ボディ メイカーズ <p>戻ってきました。</p> <p>以前スポーツクラブに通っていた5年前からのボディメーク遍歴を書いて見ましょうか。</p><p>スポーツクラブを辞める&rarr;<a href="http://www.goldsgym.jp/" target="_blank">ゴールドジム</a></p><p>ゴールドジムを辞める&rarr;娘の習い事(プール)のついでのスポーツジム</p><p>娘辞めると合わせて辞める&rarr;地域のアスレチックルーム</p><p>遠いので行くのが面倒・・・ブヨブヨ化</p><p>&nbsp;</p><p>こんな感じでしょうか。</p><p>どんどんトレーニングの質が低下してきたという感じです。</p><p>地域のアスレチックはマシンとか結構充実していたのですが、自転車で30分かかるのもトレーニングのうちと言えなくはないのですが・・・</p><p>やっぱり行くのが2分、エアロバイク30分のほうがいいかな(^_^;)</p><p>しかし、今のスポーツクラブ、ウエイト関連が結構お粗末です。</p><p>まあ、場所が変わってもウエイトの重さが変わる訳ではないんですが。</p><p>2つ並んだベンチでフライをしようと思えばもう片方のベンチに手が届く( ̄□ ̄;)!!</p><p>狭すぎです・・・ ...</p> リバウンド http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744445 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744445 Tue, 12 Oct 2010 09:33:35 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744445#comments ボディ メイカーズ <p>前回、リセットを書いてというか、スポーツクラブ通いを再開して10日・・・</p> <p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: xx-large;">体重3キロほど増えました( ̄□ ̄;)!!</span></p><p>&nbsp;</p><p>ま、実際にスポーツクラブ行ったのは初日、2日目、後は・・・10日目(&deg;◇&deg;)~ガーン</p><p>やるぞと決めた上にやってないからか。</p><p>宝くじ買った後、金づかい荒くなるのと一緒か。</p><p>改めて真面目に取り組む気持ち・・・とりあえず今のところ(;^_^A アセアセ ...</p> リセット http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744541 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744541 Sun, 03 Oct 2010 01:19:14 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025744541#comments ボディ メイカーズ <p>というか、5年前に通っていたスポーツクラブに再加入したのです。</p><p>なんと!</p><p>データが残っていました( ̄□ ̄;)!!</p><p>&nbsp;</p> <table border="0" width="540"> <tbody> <tr> <td> </td> <td> <p>前回(2005)</p> </td> <td>今回(2010)</td> <td>差</td> </tr> <tr> <td>体重</td> <td>72.2</td> <td>85.9</td> <td>13.7</td> </tr> <tr> <td>体脂肪量</td> <td>10.9</td> <td>19.0</td> <td>8.1</td> </tr> <tr> <td>筋肉量</td> <td>58.1</td> <td>63.4</td> <td>5.3</td> </tr> <tr> <td>BMI</td> <td>22.8</td> <td>27.1</td> <td>4.3</td> </tr> <tr> <td>体脂肪率</td> <td>15.1</td> <td>22.1</td> <td>7.0</td> </tr> <tr> <td> </td> <td> </td> <td> </td> <td> </td> </tr> </tbody></table><p>数字に弱い人のために補足説明しますと・・・14キロほど増えているというか。</p><p>正確に言えば既に88キロから減らしているので、16キロ近くということになります。</p><p>間をとって15キロでもいいけど、いずれにしても、落とせない数値ではないのかもしれません。</p><p>とりあえず、期限は決めていませんが・・・再挑戦といいますか。 ...</p> ピアノソナタ第21番変ロ長調D960 http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902584818 http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902584818 Sun, 20 Dec 2009 06:39:26 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902584818#comments シューベルト <p>晩年のピアノソナタ3部作(d958、d959、本作)の最後を締めくくる作品で、シューベルトにとっても最後のピアノソナタであり、「遺作」なんていわれてたりするらしいのだが、遺作(レリーク、d840)とか、未完成(d759)とか、他にもあるし紛らわしいんだけど、勿論いずれの作品も本当の意味での遺作ではない。</p> <p>シューマンが「天国的な長さ」と評したのはハ長調交響曲第9番「ザ・グレイト」(D.944)だったようだが、何故かこの曲も「天国的」と評されているケースが多いような気がする。<br />元々、「天国的~」というのは誉め言葉ではなくて「退屈~」という含みさえあるかもしれない。<br />シューマンがそういった含みを持って「グレイト」を評したのかは定かではないし、さほどシューマンに興味もないので、「シューベルトは天国的なのか?」ということについても興味がない。<br />しかし、シューマンの意図はともかく、シューベルト=天国の図式はひとり歩きしてしまったような気がする。<br /><br />村上春樹氏が『海辺のカフカ』の中で、「不完全で天国的に冗長で、すべてのピアニストが例外なく二律排反の中でもがく」と、登場人物に評させているらしいのだが、それとて読んだわけでもなく、それはどうやらピアノソナタ第17番ニ長調(D.850)の第2楽章のことみたいなんだけど、噂というか、元の情報が彎曲しているケースはネットのlogに限らない。<br />人間という生き物は悲しいもので、そういわれるとどうしてもそう聞いてしまうのである。<br />私も例外ではなく、この長い長い第一楽章を聞く前からそういう意味での天国的刷り込みイメージが最初からあった訳である。<br />だから低音トリルに対して納得がいかず、おそらく・・・多くのピアニストも納得がいってないんじゃないだろうか、なんて思っていた訳である。<br />(私はピアノ弾きませんので・・・単なる妄想の域を出ませんが)<br /><br />おそらく21番は偉大なる失敗作、不完全なつぎはぎだらけの曲なのか、ビートルズのアルバム「アビーロード」のようなものか、なんて思っていたりした訳である。<br /><br />イメージとしては、死を意識したシューベルトがその痛みの中でときおり痛みが和らぐ際に、天に昇るかのように安堵し、今までの記憶、後悔、懺悔、楽しかった思い出、そして美しい思い出が霞みつつある意識の中で、走馬灯のように噴出する。しかし左手のトリルで表現された痛みによって現実に戻される、「自分はまだ生きている、そして苦しんでいる」と。<br />まあ、こんな解釈をしていた訳である。<br />しかし、こんな解釈だと、第一楽章以外は説明がつかない。<br />そこで先の村上春樹氏ではないが、多くの人はシューベルトのソナタは不完全で、完璧ではない、という説によって納得をするのだろう。<br /><br />しかし、先日夜中にipodでこの21番を聞いていた際、唐突に、それらの解釈は間違っていたのではないだろうか?と気づいたのである。<br /><br />このソナタの一貫したテーマは、「残響」あるいは、「ディレイ効果(音を遅らせて反復再生すること)」なんである。<br /><br />そして、この反復の遅さは、「天空」つまり気体ではなく、液体、ようするに、「水面」低音トリルは「波紋」だろう。<br /><br />イメージは、「湖」だろう。<br /><br />この解釈によって、全ての楽章が統一される。<br /><br />第一楽章<br /><br />変ロ長調って変。この残響効果、救急車や列車などで実感出来る様に、遅れた音が自分の耳に到達し、通り過ぎていく際には音は低くなって聞こえるのである。この曲は天国的というよりも、アインシュタインの相対性理論的である。<br />テーマは「水」、(しかも湖)なので、時間の遅れ表現する上で、この長さが必要なのであって、これ以上短くすると「単なる美しい曲」に成り下がってしまうのであろう。<br />とにかく長い。<br />しかし、湖のほとりを歩いているとイメージしてみれば、全く退屈はしないはずである。<br />とにかく、この曲は天空を目指して上昇したり、落下したりする曲ではない。<br />ゆっくりと長い時間をかけて、何かが水面を進んでいるのである。<br />波のない、穏やかな、美しい曲である。<br /><br />そして第2楽章。<br />これほどまでに沈痛な曲は少ないと思う。<br />あまりにも痛いイメージが先行してしまったので、以前はあまり聞きたくなかった。<br />しかしそれは先の、「天空」に昇る前の痛み、いわば「最後で最大の痛み」を無意識的に連想していたからである。<br />実際には、この曲のテーマは「夜の湖」なのである。<br />痛みではない。<br />第一楽章同様、穏やかで美しい。<br />そして怖い。<br />それは未知なものに対する恐怖であり、神秘的な恐怖だろう。<br /><br />第3楽章<br />中途半端に可憐な曲?<br />いや、これは中途半端な曲ではなく、知的な幼さに関わる曲なのである。<br />子犬のワルツではない。大人の女性、湖畔のデート。<br />実際にデートしたかは定かではないが、火遊びならぬ、水遊びであろう。<br />残響効果、フラッシュバック効果というか、反射、エコー、音の山彦効果を存分に発揮させるためにはテンポを守らなくてはならない。<br />名演は少ないような気がするが、この第3楽章と次の第4楽章はテンポが守られていさえすれば、本当に美しく、計算された技巧的な曲なのであるが。<br />どうも第一楽章でバテてしまっている演奏家が多いような気がするのは私の聞きまつがいであろうか。<br />シューベルトは曲を作る際に誰かインスパイアされたモデルがいるんだろうなと思うのである。<br />そして、そのモデルの女性の美しさと脆さ、可憐かつ稚拙でさえあるその人となりを描き出しているのであって、曲の完成度が低いというよりはその女性の完成度が低い?訳である。<br />しかし、シューベルトはおそらく、そういった不完全な人間らしさを含めた全てを描き出すことによって、全方向性の愛というか、そういった表現をしたかったのではないだろうか。<br />当事者的に受け入れられたのかは不明。<br />(似顔絵は似ていないから受け入れられる)<br /><br />第4楽章<br />変な曲である。<br />イントロドンで言えば即興曲(d899)第1番ハ短調と間違えるが、変ロ長調なんである。<br />これは、Wikipediaによればベートーヴェンの作品130弦楽四重奏曲の第二のフィナーレ冒頭の変形であるらしいが、元の曲を聴いたことないのでなんとも。<br />一貫したテーマの水、(湖)は凍っているかのようでもあり、左手の伴奏はスケートの進行、もしくはアメンボのように右左に進んでいるかのようだ。<br />左手の主旋律はぎこちなく、犬の散歩のようでもあり、転げているようでもある。<br />しかしその後の展開はドラマチックで、まるで突然にオーケストラがやってきたかのようだ。<br />降り注ぐのは花びらなのか、雪なのか、雨なのかは判らないが、人間の情動を超えた何か、自然の力みたいなものを感じずにはいられないのだが、やはりここでもシューベルトは最終的に人間的な情念で持って、超越的な美しさを台無しにしてしまう、と思うのは私だけであろうか。<br />19番第四楽章の悪夢の再来、原型は「さすらい人」なんだろう。<br />それゆえにある意味、演歌的なのか?人気の秘訣なのか?知らないんだが、これはこれで素晴らしいんだが。<br />洗練された無骨さというか、知的なブ男というか(失礼)<br />とてつもなく繊細で感傷的かと思えば、それを平然と踏み躙る不器用さ、だからモテない?<br />やっぱりシューベルトはココロのボスなんだな~と思う(謎)<br /><br />最後の大作みたいに考えるといかがなものかというのはつきまとうとしても、別にシューベルト自身がこのピアノソナタを「遺作」として書いた訳でもないだろうし、これも残された人たちが創り出した勝手な刷り込みなんである。<br /><br />&nbsp; 最後の遺作として盛り上げてしまうと、「不完全」かもしれないが、残響効果を実験的にチャレンジした意欲的な職人芸と考えれば、シューベルトは後世に残るものすごく良い仕事をしたんだと思うのであった。</p><p>&nbsp; ...</p> 個の不安 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820169 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820169 Tue, 27 Oct 2009 13:00:32 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025820169#comments A typical Ways 乳幼児期~ <p>死の恐怖に関する概念の発作が治まってきてもなお、私には自分と他人の区別にかかわる謎が解決したわけではなかった。</p> <p><br />自分の視界、いわゆる両目で見た、視界。<br />そこの先に見えているものは、いったいなんだろうということ。<br /><br />それは私の意とは関係なく動き、活動し、何を考えているのかわからない。<br />それなのにも係わらず、それらは私を放っておいてくれるわけでもなく、時には私に係わり、時には私を攻撃する。<br /><br />自分には何故、それらをコントロールすることが出来ないのか。<br />母にしても、兄にしても、味方のように思えるが、何を考え、行動しているのがが判らない。<br />彼らは私が考えていることもわからないのだろうか。<br /><br />自分と、自分以外は何が違うのだろう。<br />自分の意思が働いて意のままにコントロール出来る範囲は、どこまでなのか。<br /><br />逆に、彼らは私が何を考えているのか、本当は判っているのかもしれない。<br />私の行動はすべて見透かされていて、密かにあざ笑われているのではないだろうか。<br />私を支配する、神のような存在はあるのだろうか。<br />なんで私は自分のことだけ判り、自分の肉体を持ち、考えたり、見たり、聞いたり、匂いを嗅いだりするのだろうか。<br />なんのために?<br /><br />鏡を見れば、そこには下界に映し出される際に見ることの出来る人間、勿論同じではなく、固有の生き物が映し出され、これがまぎれもない自分だということは納得が出来た。<br /><br />しかし、自分も他の人間と同じであるとしても、自分一人だけが自分のことを理解していること、その個体をコントロールする権利と義務を持っていること。<br /><br />そして第三者の係わりをどう対処して生きていけばいいのか。<br />その指標となる何か、自分操作マニュアルのようなもの。<br />そういう観念もなしに、これから先何をしていけばよいのだろう。<br />こういうことがずっと不安だったのである。<br /><br />私は喘息持ちだった影響が大きいのかもしれないが、常に自分が空気の中に埋没していることに気づいていた。<br /><br />それゆえ生きていることも知っていたし、空気中に飛び交う物質により気管支が収縮してしまうことも気づいていた。<br /><br />しかし、その物質から身を守る方法は?<br /><br />水に埋没すれば窒息することは知っていたが、空気中の毒が多くなれば、それだけで死ぬのだ。<br /><br />そんな不安定な世の中に生きなくてはならない宿命に愕然とした。<br /><br />しかし、命とは大小もあるが、時間の経過の中で長短もあることも知っていた。<br /><br />たとえば私が腕を振り回した際に、その空間に生きていた微細な宇宙は粉々に砕け散るが、その直後にも再び別の再生をするのだ。<br />その間に凄まじい量の生死が存在しているのだが、そんなことに気づかないほど、時間の経過が早かったり遅かったりするのである。<br /><br />これらの概念はおそらく<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC" target="_blank">スーパージェッター</a>の影響だと思う。<br /><br /><br />そして世の中はテレビの中のように理路整然と機能していなくて、矛盾だらけであることにも薄々気づきはじめていたが、何故矛盾が生じるのかなんてことは皆目検討もつかず、毎日不安の中で生きなくてはならなかった。</p><p>とはいえ、私がそれらに向き合い、対処しようと鋭意に努力していた訳ではなかったので、日常はテレビを見たり、無機質な(反応がダイレクトに伝わってこないことが経験的に判っている)空気や景色を感じてその中で漂って遊んだり、動作性のある事柄(人、動物など)については無関心を装ったりして過ごした。</p><p>そういう部分では一般的な子供、定型の子供とは少し違って見えたのかもしれない。 ...</p> 描画 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848268 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848268 Tue, 27 Oct 2009 11:48:37 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=20111109025848268#comments A typical Ways 幼児期 <p>私は絵を描くことが出来なかった。<br />正確に言えば、典型的な絵の描きかたを知らなかった。</p> <p><br />私は紙に鉛筆で何かを描くことは小さい頃から好きだった。<br />しかしその描きかたは、Typicalな子供が身につけている描き方とは少し変わっていたかもしれない。<br /><br />私は連続した円を延々描いた。<br />ぐるぐると描いた。<br />ずっとぐるぐる書いていると濃いところや薄いところが出来てくる。<br />そうすると何かの形に見えてくる。<br />車に見えてきたら「くるまをかけた!」ゾウに見えたら「ゾウをかけた!」と言っていたのだ。<br />逆に言えば、何かを書くということがよく判らなかったのだ。<br />幼稚園で困ったのは、テーマに沿って絵を描くという意味が判らなかったし、自由に何でも書いていいという&rdquo;暗黙のルール&rdquo;の意味が理解出来なかった。<br />私に欠けていたものは、外部の事象を一度脳の中に取り込み、それをTypical(典型に)処理してから表出する行為、いわゆるインプットとアウトプットの処理能力だったのだろう。<br /><br />私は他の子たちが描いている絵を盗み見た。<br />その子は絵を見られないように隠した。<br />「見ないでよ!」<br />「先生、〇〇ちゃん(私のこと)がマネします!」<br />先生は言った。<br />「〇〇ちゃん、人の真似じゃなくていいのよ、自分の好きなように描けばいいの」<br />私は好きなように描いた。<br />私の絵を盗み見た他の子が言った。<br />「あ~!描き方が違う!」<br />私は絵を隠した。<br /><br />そして、私は幼稚園で絵を描くことが出来なくなった。</p><p>たぶんそれがきっかけで、母は私を絵画教室に通わせることにした。<br /><br />絵画教室は老夫婦が運営しており、二人とも優しかった。<br />私と同年代の子供も、小学生くらいの大きな子もいたが、生徒間の干渉は全くなかったので居心地はとてもよかった。<br /><br />先生は絵の描き方を教えてくれた。<br /><br />先ず、静物を見て、その輪郭を先ず大まかに写した。<br />大きさは鉛筆で片目で見て測り、それを画用紙に当てはめて写せばプロポーションが壊れず、ある程度正確に写せることも習った。<br /><br />ある程度の下描きをした後、そこにクレヨンで色をつけた。<br />クレヨンの色も薄く書けば紙の色と混ざり薄くなり、濃く描けばクレヨンの色に近づくことが判った。<br />色を重ねると混ざること、暗い色、明るい色があることも教わった。<br /><br />私は植物、とりわけ木の枝を描くのが上手だと誉められた。<br />誉められれば嬉しかった。<br />私は何故、自分が他の子よりも木の枝が上手なのかが気になった。<br /><br />他の子の絵を見ると、他の子は目がよく見えないのか、描くのが面倒だったのかは判らないが、木の枝を一本一本描いている子は一人もいなかった。<br /><br />ただそれだけのことだった。<br /><br />しかし、その時私は他の子よりも勝っている部分を自分の中に見出し、その客観的な第3者の評価に興奮した。<br /><br />私は幼稚園で絵を描いてみた。<br />成果を試してみたかった。<br /><br />そこで待っていたのは、賞賛ではなく、それほど以前と変わらなかった。<br />「あ~描き方が違う!」<br />「自由に描かなきゃいけないんだよ!」<br />「先生!〇〇ちゃんは言われたとおりに書いていません!」</p><p>そこで求められていた絵とは、抽象的な、ある意味子供らしい、たとえば線だけで書かれた人間、赤い太陽、緑色の山、水色の川など。<br /><br />私は写実的なデッサンをするために、鉛筆で下書きを始めてしまったのだ。<br />その時、先生は何と言ったのだろう。<br />たぶん、何か私をフォローすることを言ってくれたと思う。<br />「こういう絵の描き方もあります」とか、「〇〇ちゃんは絵を習っているの」とか「この絵は本格的なの」とか。<br /><br />しかし、多くの子は私が自分たちより勝っていることに我慢がならなかったのだろう。<br /><br />次の時間、私の絵には上履きの跡がついていた。<br /><br />それについては先生も何も言わなかったし、私はそういう表出をする子達の仲間でいることが悲しかったが、その事態を変える方法も知らなかった。<br /><br />ただ、先生に従順な一部の子達は、私に対して「すごいね」など言ってくれたような気がする。<br /><br />踏みつけられたが、その後も私は作品を描けるし、腕でも折られなければいくらでも描けた。<br />また、腕を折られたとしても、脳が憶えているかぎり足でも口でも描けたはずだ。<br /><br />私は一つの事柄で、典型的な同年代の子達よりも勝ったのだ。<br /><br />この時の優越感は、私の将来に大きな影響を与えることになったと思う。<br /><br />&nbsp; その事件で、私は典型的な子供が描く子供っぽい絵の定義についても学んだ。</p><p>そして、「わざと下手に描く方法」も独学で身につけたのだ。</p><p>絵が描けるようになると、絵画教室は卒業となった。</p><p>私とすれば残念だったが、習い事はお金がかかるものだから仕方がなかったし、数ヶ月でも習い事をした経験は何にも代え難いものであり、感謝するべきものだったと思っている。</p><p>この習い事で得た自信がなければ、後にデザイン学校に進学することもなかったと思うし、自立心も生まれなかったかもしれないのだから。 ...</p> 自身を公開するということ http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902582015 http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902582015 Mon, 26 Oct 2009 20:00:57 +0900 http://ho-gas.com/article.php?story=2011110902582015#comments Goodbye Typicals World <p>ところで、私はこの自伝のような文章を公開することに対して、何を求めているのだろうか。</p> <p><br /><br />人は何故、自伝を書くのだろう?<br /><br />ひとつには、自分を認めてもらいたいという欲望だろう。</p><p>それは自尊心ということかもしれない。<br /><br />至らない点は反省し、至るまでの道程を書き記し、それを持って自己満足、いや、そのような自分を読み手に対し認知してもらう過程において、慰めになるということなのだろうか。<br /><br />あるいは、自らの生き様を若輩に参考にしてもらいたいという思いからか。<br /><br />だとすれば、自伝は自慢出来るような人生を送っている人が書くものということにはならないだろうか。<br /><br />私は自伝を書くに値する人生を送ってきたのだろうか。</p><p>上の定義からは私は自分の過去を振り返ることは出来ない。恐れ多くも自分の半生を自慢できるものだとは思えないし、むしろそのうちの殆どの事柄は未だ乗り越えていないのだ。<br /><br />年齢を重ねれば重ねるほど、新たな問題が出てくるようにも思える。<br />というよりも、むしろそれは当たり前なのではないかとも思う。<br /><br />試練というものがあったとすれば、先に行くほどきつくなるのだ。<br /><br />ならばやっぱり「自伝を書くという行為」は、今まで乗り越えてきた試練を書き連ねて、そこまで達していない若輩者たちの尊敬を勝ち取りたいということに繋がるのではないだろうか。<br /><br />いや、実際にはそうではない。<br /><br />先ず一つに、私はこれら恥ずかしい半生を書き連ねることによって、私自身が未だに突き止めることの出来ない問題、すなわち「私は何なのか?」ということについて、判断を仰ぎたいのだ。</p><p>とはいえ、考えようによっては惨めな告白を読んでいただいた皆さんの意見が全て正しいとは、失礼ながら全く思っていないのだが、客観的な価値観で、判断してもらいたいのである。<br /><br />人の意見を全て受け入れはしないが、参考にしたいという、都合のいい話なのである。<br /><br />また、私がここで過去をさらけ出したとしても、私と係わってきたこの文章の登場人物は恥を書くかもしれないが、それも私の匿名性がある程度確保されているとすれば、大した問題ではないかもしれない。<br /><br />ならば公開することとしないことを秤にかければ、公開した際のメリットが勝るかもしれないではないか。<br /><br />また、もう一つ、良い悪いは別にして、この文章は著作物である。</p><p>著作物は財産足りえる。</p><p>そこまで至らないとしても、これを読んだ人が、私が仕組んだアフィリエイトタグを踏んでくれたなら、レンタルサーバー代金くらいは出るかもしれない。<br /><br />その程度といえば、その程度の想いから書き連ねているだけ、というのが本音である。<br /><br />奇麗事をいうのはTypical World(典型的な世界)に済む人に任せようと思う。<br /><br />少なくとも私はAtypikal(典型的でない)ことを認める代わりに、正直に話す権利が欲しいのである。 ...</p>