home ought to gas! (家庭は楽しくあるべきもの)
2010年9月 8日(水) 11:10 JST
母の自慢は、戦争中でも甘いものに不自由したことがないということだった。
私は生まれついての『天然パーマ』だった。 また、私は鼻が高い子供だった。
母方の祖父は、ざい(在郷)の出身だった。
城下町に住む人間たちからすれば蔑まされた血筋の出身という差別的含みはもしかするとあったのかもしれないが、空気を読むニュアンスの中で決して直接的に語られることはなかったと思う。
私が生まれ育ったのは北関東の城下町だ。 城下町とは町名に特有の名前がついた場所がある。 鍛治町、倉内町、材木町、上街、中街、下街など。
父の実家は、戦時中から裕福だったようだ。 軍服から始まる洋品店、いわゆるテーラーメイドであった。
母は幼少時代を川崎で過ごしたと聞く。 時代は戦時中だった。
1958年、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表した。
穂ガスドットコム’98