Atypical Ways 非定型の道

個の不安

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死の恐怖に関する概念の発作が治まってきてもなお、私には自分と他人の区別にかかわる謎が解決したわけではなかった。

自分の視界、いわゆる両目で見た、視界。
そこの先に見えているものは、いったいなんだろうということ。

それは私の意とは関係なく動き、活動し、何を考えているのかわからない。
それなのにも係わらず、それらは私を放っておいてくれるわけでもなく、時には私に係わり、時には私を攻撃する。

自分には何故、それらをコントロールすることが出来ないのか。
母にしても、兄にしても、味方のように思えるが、何を考え、行動しているのがが判らない。
彼らは私が考えていることもわからないのだろうか。

自分と、自分以外は何が違うのだろう。
自分の意思が働いて意のままにコントロール出来る範囲は、どこまでなのか。

逆に、彼らは私が何を考えているのか、本当は判っているのかもしれない。
私の行動はすべて見透かされていて、密かにあざ笑われているのではないだろうか。
私を支配する、神のような存在はあるのだろうか。
なんで私は自分のことだけ判り、自分の肉体を持ち、考えたり、見たり、聞いたり、匂いを嗅いだりするのだろうか。
なんのために?

鏡を見れば、そこには下界に映し出される際に見ることの出来る人間、勿論同じではなく、固有の生き物が映し出され、これがまぎれもない自分だということは納得が出来た。

しかし、自分も他の人間と同じであるとしても、自分一人だけが自分のことを理解していること、その個体をコントロールする権利と義務を持っていること。

そして第三者の係わりをどう対処して生きていけばいいのか。
その指標となる何か、自分操作マニュアルのようなもの。
そういう観念もなしに、これから先何をしていけばよいのだろう。
こういうことがずっと不安だったのである。

私は喘息持ちだった影響が大きいのかもしれないが、常に自分が空気の中に埋没していることに気づいていた。

それゆえ生きていることも知っていたし、空気中に飛び交う物質により気管支が収縮してしまうことも気づいていた。

しかし、その物質から身を守る方法は?

水に埋没すれば窒息することは知っていたが、空気中の毒が多くなれば、それだけで死ぬのだ。

そんな不安定な世の中に生きなくてはならない宿命に愕然とした。

しかし、命とは大小もあるが、時間の経過の中で長短もあることも知っていた。

たとえば私が腕を振り回した際に、その空間に生きていた微細な宇宙は粉々に砕け散るが、その直後にも再び別の再生をするのだ。
その間に凄まじい量の生死が存在しているのだが、そんなことに気づかないほど、時間の経過が早かったり遅かったりするのである。

これらの概念はおそらくスーパージェッターの影響だと思う。

そして世の中はテレビの中のように理路整然と機能していなくて、矛盾だらけであることにも薄々気づきはじめていたが、何故矛盾が生じるのかなんてことは皆目検討もつかず、毎日不安の中で生きなくてはならなかった。

とはいえ、私がそれらに向き合い、対処しようと鋭意に努力していた訳ではなかったので、日常はテレビを見たり、無機質な(反応がダイレクトに伝わってこないことが経験的に判っている)空気や景色を感じてその中で漂って遊んだり、動作性のある事柄(人、動物など)については無関心を装ったりして過ごした。

そういう部分では一般的な子供、定型の子供とは少し違って見えたのかもしれない。

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