多くの差別的見地について

Goodbye! Typicals World 定型世界への決別

私は以前にもこれに類似したタイトルで何度も文章を書いている。そして、その都度、ほぼ確実にといっていいほど、後悔をしている。何故、後悔をすることが判っている文章を公開する必要があるのだろう。

先ず、何故私は後悔をするのだろうか。

一つには、これらの事柄について触れる際に、その中に不確定要素、人により判断の基準が異なる要素、つまり本意であるにせよ、ないにせよ、結果的に間違っていないとは言い切れない文章、すなわち「嘘」が含まれてしまう可能性を否定出来ないからであり、かといって私にそれを除去するだけの文章能力がないというか、それらの信憑性について弁明する自信がないからだろう。

もう一つには、その中に含まれる真実が多くの人の目に触れるべき性質のものではない、すなわち個人情報、プライバシーに係わる問題を含まざるを得ないからだ。既に私が誰であるとか、そういったことに関して匿名性を守り続けたとしてもこの件について触れているというだけで、差別的見地に立った意見を公開しているということになるのかもしれない。

差別は、多くの人々にとって、暗黙の了解、タブーな領域だ。ブログというツールは日々更新されるとすれば書いている当事者は書いたことを忘れてしまう場合も多いのだが、「検索」によって第3者が過去の記事を発見したとして、それがその当事者の逆鱗に触れる可能性がないとはいえない。インターネット上のログは意図的に抹消しなければ、いつ何時でも人の記憶に滑り込ませることが可能な訳であり、テレビやラジオ、雑誌、新聞といったメディアよりもはるかに恐ろしいものである。しかし、多くの人々はそれを承知で、平然と様々な憶測に満ちた、あるいは、偏見に満ちたテキストをブログとして全世界に公開している。それはそれでいいのかもしれない。あくまでも、ブログは個人の日記であり、それをどう捉えるのかは個人の責任である訳なのだから。しかし、本来そのような中途半端なスタンスでブログというメディアに係わってもいいとしても、題材はなんでもいいという訳にはいかないと思うが、いかがなものなのだろうか。特に「差別的見地」のように人を境界で別ける事柄に触れるのであれば、それは既に「日記」の範疇を超えているだろうし、利害に係わる部分でもあり、攻撃をされても仕方がない部分でもあるだろう。私自身、過去にいくつか、個人的ブログなるものを書いていて(勿論、このページもその一つな訳だが)その中で多くの人と知り合いになった。そして、それらのネット上で仲良くなった友人のブログの多くは、現在消滅してしまっている。

一つの理由としては、更新が面倒になって止めたというある意味、とても日記らしい理由が一番かもしれない。

もう一つの理由とすれば、公開するという行為に個人的に責任をとれなくなってきた、というのが多々あるように思う。いわゆる「ブログ炎上」というものであるが、その炎上を引き起こす要因としては、書き込みをする余地「突っ込みどころ」がある、という「優しさ」に起因することなのだろう。結局は個人が全世界に発信するテキストとしては、ブログという形態は責任が重すぎるということなのかもしれない。

しかし、大体、何でそのようなリスクを冒してまで自分の身の回りのことを発表する必要があるのかということだ。問題の根本はここにあるのだろう。

何故、自分は世の中に係わらず、ひっそりと黙って生活をしていく道を選ばないのか。何故、普通に静かに、人目に触れず、生きていかないのか。それはとりもなおさず、自分自身が世の中に係わらないで生きていくような、世の中を代表するような、典型的な世界に生きているという実感がないからだ。私もそれを言わなくてはいけないという気がして、このサイトを更新もせず、かといって削除も出来ずに既に10年近く経過させてしまった。その間レンタルサーバは2度引越し、ドメイン管理費も意味なく支払ってきた。

何故、それらを言わなくてはいけない気がしてしまうのだろう。それは、そうしない限り、私自身が永遠に解放されないような気がするからであろう。勿論、私自身、いわゆる普通の生活を目指して今まで切磋琢磨して生きてきた訳であり、それは今でも続いているし、おそらくは可能であれば、死ぬまでそうしていくと思う。自慢する訳ではないが、私はそれを行う能力があるから出来るのである。それはそれでいいだろう。誰からも褒めてもらうつもりもないが、責められるつもりもない。しかし、私が仮に、それらの普通の生活を送ることが困難な人間と係わらざるをえないとしたら、その人とどう接するのが妥当なのだろう?助けるのか?無視するのか?見なかったことにするのか?仮に助けるべきだとして、私に助ける能力まではなかったとしたら?助けられる範疇だけ抽出して助け、後は見捨てる、それは仕方のないことだと、諦めるべきなのか?他に何か、出来ることはないのだろうか?

そう、私は何故、このようなプライベートな話題を公開するのかといえば、今読んでいるあなたたちに、助けを求めているからに他ならないのかもしれない。

私はどうすればよいのだろう?勿論、答えを提示する事は難しいと思う。私としても、悩み相談的なアドバイスが欲しいわけではない。黙って愚痴を聞いてほしいという訳でもない。では何が望みなのか。もし、私の書いたテキストを読んで、あなた達の何人かが、何かを感じたら、それだけでも自分の周りの何かが変わるのかもしれない。

そう信じることが、この作業の全てなんだろうと思うのである。

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