ハリーポッターとアホアホの洞窟? – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

今、野菜が高い。
ほうれん草、小松菜が並んで198円ではとてもじゃないが手が出ない。
鳥のムネ肉500グラムのほうが安いぞ。
台風の影響とかよくわからないが、ここ数日間でいろいろなことが起こっているらしい。
こんなことを書き込む男はそんなにいないような気がするが、
私の興味は所詮この程度。
長女の宿題が「ニュース」を記者の目で、子供なりに書いてくるというものらしい。
つまり、新聞やテレビで話題の「ニュース」を自分なりにまとめて、レポートすることが宿題なのだ。
そこで、娘のニュースレポートには、栃木県小山市の子供二人が遺体で見つかった事件のことが書かれていた。
「ヘリコプターに身を乗り出し、警察はスゴイと思いました・・・」
これに関して、妻はそれでいいの?と言っていたが、私は別にいいじゃないか、ということでそのまま学校に持って行かせることにした。
この事件に関して、その程度の文章を持っていったとすれば、人によっては問題の焦点がわかっていないとあざ笑うかもしれない。
実際に、娘は新聞に何が書いてあるのか、理解してはいない。
でも、記事の書き手が伝えることは、多くの人間に共通する主題を見出すことが通常であっても、通常でない場合でも、案外通用するものだし、それが受けたりもするものだ。
根本的にうちの娘はこの事件について大人が想像?しているようなこと、容疑者が子供をなんらか意図でもって子供を殺害したのかも、なんてことはまるっきり理解していない。
「容疑者」という単語の意味も、たぶん判ってない。
それは国語力のなさからくるものだが、そうだとしても、まあ、いいんじゃないかな、ということ。
だって、ニュースを書いてくるなんている漠然とした宿題に対して子供が適当に選んだ話題がたまたま幼児殺害容疑ということなのだ。
で、それに対する一般論、通常多くの大人が期待しているモラル、道徳主義が存在する。
小学校5年生にもなれば、一丁前に論じる子供もいるだろうとは思うけれども、それが宿題の目当てではないだろう。
実際にそのようないろいろな要素を含む可能性を秘めた宿題が平然と出されているわけであり、その記事は止めたほうがいい、といったことをいう理由は、単にこれは子供では判断しきれないくらいいろんな要素を含んでいる、なんて曖昧な言い訳になるのではないだろうか。
少なくとも私にはこの事件をどう捕らえるのが普通だとか、いい方法だなんてアドバイスは出来ない。
だから、新聞に書いてあることが理解出来ないとしても、それを「こう捉えなければいけない」なんて、言えないのだ。
国語力がないのは問題だと思うが、どうしたもんだか・・・
それとは別の話で、息子が夕食後に、ハリーポッターについて、熱く語ってくれた。
熱く語っているのは解るのだけれど、映画も見ていなければ小説も読んでいないので、何を話しているかさっぱり判らない。
様々な固有名詞が出てくるのだが、「ちょっと待てよ、それは、人の名前なの?場所?ああ、そうなの」
私に言えるのは、単純だ。
「それはたぶん、ハリーが正しい。」
で、息子は、その物語の中で、色々なことを学んでいる、若しくは、ハリーが取った行動を、自分に置き換えて、考えているのだろう。
ハリーはスゴイ、でも、自分はそんなことは出来ない、など、など・・・
私が言えるのは、簡単だ。
「おまえも、ハリーになるのだ。」
とりあえず、私も、ハリーポッターのビデオくらいは、見ておいた方がいいんだろうな・・・

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