キンキンさんへ、あなたのことですよ。 – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

今日は、らむさんの日記&コメントの数々に関連したことを書きます。
今日のテーマは、継母奮闘記。
私は継母ではありませんし、継父でもありません。現実逃避している失業継続中のお気楽主夫であることを先ずお断りしておきます。
テーマが遭わない方にとっては、かなり濃い内容だと思います。(~_~;)
キンキンさんの最初のコメントについて、楽天の方ではないようですし、私はてっきり、一度だけコメントを残していくようなタイプの方なのかと思い、らむさん宛に、「状況判らない人もいますが気にしないでください」という意味でのコメントを残しました。
その後、キンキンさんが、「僕のことでしょうか?」というコメントを残し、他の方との横レスでも多くのコメントを残されているようで、たぶん、悪意のある方ではなかったのだと気付きました。
私も失礼なことを言ったかもしれないと、反省しています。
また、キンキンさん自身も妹さんが同じような状況で、ご自分も色々と複雑な環境で、子供と接していらっしゃるようですし、ご苦労も多いのだと感じました。
ただ、いくつかのことがやはりすれ違っているような雰囲気を感じています。
そこで、キンキンさんも含めて、継母の方々の日記を誤解している方がいらっしゃるのかもしれないと思い、余計なお世話ながら、私の日記にて思いを書かせていただきます。
キンキンさんへの個人的メッセージは、不適切だと考え、削除しました。
先ず、私は何故継母の人たちにコメントを書いているのか。
「継母奮闘記」私が楽天日記のテーマを徘徊して、ふと目にとまったテーマでした。
そこのテーマの何人かの方の、日記を読みました。
日頃、私が感じているのと同じ悩みを持った人がいて、本当に驚きました。
私は自分の子供が「発達障害」を抱えているのはうち固有の悩みだと考えていました。
しかし、ここのテーマの日記を書く方々の多くが、同じような「後天的障害」に悩まされていました。
何人かの方々に、コメントさせてもらったりしています。
勿論、役に立つことを知ってる訳ではありません。
単に、子育てにおける悩みに対し、共鳴する部分で自分自身、癒されもするので、ついコメント残しているだけのことです。
自分自身が、他人が育てた子供の養育をバトンタッチした時、問題に真っ向から取り組んでいなかったら、共感出来ていなかったかもしれませんが。
それくらい微妙な話題だと思います。
私自身、以前は、「自分はそうは思わない」または、「人としてこうあるべき」という言葉を正義感を持って平然と喋ることが出来ました。
しかし、実際には、「そういった問題に遭遇していない自分には理解できない」または、「普通の人としてこうあるべき」ということを言っていた訳で、これに気付くのには問題に遭遇することと、普通ではない環境が必要だったのです。
普通の人ってなんでしょう?
一般的である人、平均的である人。
普通の人なんていません。
普通の観念から差別が生まれてくるものですね。
問題は誰でも抱えているでしょうけど、理解できない問題に対しての意見は、大概間違った意見です。
そして、その間違った意見を堂々と発言することも出来るのです。
それは、無知の力によってですね。
私の家庭を紹介します。
私の家には、妻の弟の子供が2人、実の子が1人います。
弟はある時、子連れの嫁を連れてきました。
継父である弟は、実子を一人儲けました。
そして、嫁は薬物で刑務所へ。
弟夫婦は離婚し、子供は義母が引き取りました。
私たち夫婦に子供が一人授かりました。
その後、弟は死にました。
子供達が義母の手に負えなくなりました。
私たち夫婦が預かることにしました。
子供達の障害に気付きました。
私は失業し、主夫になりました。
簡単にいえば、こういうことです。
フリーページにも書いてますので、興味があれば読んでください。
私たちは、子供達にとっては、「里親」のようなものなんだと思います。
実際には、里親とも、ステップファミリーとも同じではありませんね。
義母の協力はもらえるし、子供達の過去の経緯も知らない訳ではないのですから。
子供の障害を目の当たりにしたとき、「なんとかなるだろう」とたかをくくっていた自分の考えが、「こりゃ大変なことをした」に変わりました。
実は、私自身、失業するまではそれほど問題点に気付いていなかったのです。
殆どのことを妻任せ、なんとかなる、深刻に考えるな、気楽にやろう。
これが所詮は他人事だということは、私自身が主夫をするようになるまで理解出来ていなかったのです。
家にいて、子供達と日常的に関わりはじめて、初めて大変さに気付いたといってもいいでしょう。
それ以来、常に「現実から逃げたい」衝動に駆られるようになりました。
(勿論、逃げることは出来ませんが)
障害を持つ子を育てるのは、凄まじいストレスなのです。
先天的な障害を持つ子の親とも感覚的には違うと思います。
判りにくいでしょうか?
なんとかなるさ、と思って引き取った子供が、自分が思ってもいなかった人格を形成していたことに気付いたときの気持ち、難しいと思いますよ。
日本にいる男性の殆ど(子育ては奥さんがやるもの、という観念が少しでもある人)にはおそらく、私の心境は理解いただけないかもしれませんね。
子供の障害の原因、それは先天的なものなのか、後天的なものなのかもはっきりとはわかっていませんが、殆どの原因が後天的なもの、今まで育ってきた環境のためなんだろうと思っています。
だとしたら、それを改善していくためには家族全員を含めた治療が必要であることは判っていただけますでしょうか?
今まで係わってきた大人達にすれば、自分の過ちを指摘されることに繋がりますし、自分の守ってきた価値観の崩壊にも繋がるのです。
それを認めるのは相当辛いことです。
だから、改善しようと思う人間に対しては出来る限りの抵抗をするものです。
そして、様々な感情がぶつかり合っていきます。
そういうことをしないで、その人たちを無視すればいいか?
いや、それではダメなんです。
全員参加が必要なのです。
なぜなら、自分が係わらなかったことに対して見てみぬふりをしたとしても、その結果生じてくることの責任をとるのは他の誰でもなく、自分自身であり、なによりもその大人のエゴによる空洞を背負うことになるのは、子ども自身なのです。
価値観が違っても人は人、それでいいじゃないかと仰るかもしれません。
係わる大人達の価値観が違うことに対する亀裂を放っておいても、その溝は埋まるものではなく、広がるだけなのです。
とてもデリケートな問題であり、私自身、妻、義母、義弟夫婦と話し合い、常に意見が一致することの方が少ないくらいです。
文句も言いますし、言われもします。
時には気分を害し、また自分の行動に悩み、反省し、また、そこから抜け出せない自分に対し、ことごとく、いや?な気分に落ち込むこともあります。
でも、そこから逃げていたのでは、子育て放棄ではありませんか?
奇麗事じゃありません。
何のために揉めているのかといえば、子供のためですから。
発達障害を持つ子供に対して、アホはアホなり、それなりに育てろって訳にはいかないのです。
大人になれば、子供達は社会に出ます。
(出られないかもしれませんが)
その時のために今、最善を尽くすのが親の仕事ではないですか?
そのために日夜子供に良かれと思ってのことを考え、試行錯誤する以外にも、家庭内で抵抗する人たちの過ちを認めていただき、さらに、世間の常識(誤解?)とも戦っていかなくてはいけないのです。
お気楽に出来ることではないのです。
愛情を持つ、持たないなどということは関係ないのです。
あるのは、責任です。
そこで出てきたストレスの憂さ晴らしを自分の日記の中で書いている訳なんです。
実際の行動を多少デフォルメする場合もありますし、それを読み手は誤解するかもしれませんね。
ただ、私はそれはそれで構わないことだと思います。
身の回りのことを自分なりに書いていくことが日記なわけで、それに対するコメントだって自分の考えを伝えるスタンスでいい訳ですから。
そして、お互いに知り合えればプラスに繋がることが多いはずですから。
以上、色々な意見を頂戴し、反響の大きさに驚くと共に、自分が不適切な文章を書いて、公開してしまったこと、それにより、多くの方を不快にしてしまったこと、大変申し訳ありませんでした。
ただ、本質的な意見が変わった訳ではありませんので、再びコメントお待ちしております。

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