ボブ・ディランがデビューするのが1962年、それは自分が生まれた年でもある。
この20年のズレはおおよそ、自分の世代にボブ・ディランが好きでレコードを聴いている者がいないことに貢献した。
自分が不登校全盛期の1975年当時、ボブ・ディランはアルバム「欲望」をリリース、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」等と共に「ハリケーン」が新曲としてラジオから流れてくる時代だった。
そこから遡り、20歳そこそこの若きボブ・ディランのデビューアルバムから(当時の)現代まで、全曲放送しようというFM番組があった。スタジオ盤以外にライブやグレーテストヒッツ中の未発表曲等も含め、アルバム20枚以上に及ぶ内容で、確か夜中1時~3時の2時間番組で、放送終了まで数カ月に及んでいたと思う。1週間でアルバム3枚程度の放送内容だったと思うが、自分は欠かさずエアチェックし続けた。FM放送といっても山に囲まれた田舎であったため、音がカスカスで雑音まみれであったのだが、気にせずエアチェック音源を聴き続けた。
最初にレコードとして購入したのはこれだったと思う。
発売が1976年だったので、自分が中2の頃のはずだ。
当時、ボブ・ディランの日本でのレコードはCBSソニーが発売していた。なんらかの販促キャンペーンだと思うが、ボブ・ディランのレコード全て再リリースしていたはずだ。全曲放送の番組もそのプロモーションの一環だったのかもしれない。いってみれば自分はその策略にまんまと嵌った一人だったということになる。全てのレコードに深緑色のインクで書かれたブックレットがついていて、片桐ユズル氏の訳詞とディスコグラフィーを含む「ディランの歩み」がついていた。LP5枚分の帯封を送ると、未発表曲EPがプレゼントされる特典があった。
自分はどのアーチストよりもボブ・ディランに傾倒していった。
当時、一般的にボブ・ディランは「フォークの神様」等と言われていて、日本のフォークソンガー達に崇め奉られていた存在だった。逆にその評価から一般大衆には受け入れ難い存在となっていたんだと思う。自分は日本のフォークもニューミュージックも基本的に共感できる音楽だと思った事は殆どなく、そのような人達が神と崇め奉るボブ・ディランにも良い感情を持ってはいなかった。しかしながら先のサイモン&ガーファンクルとディランの共通項が存在することを多少なりとも知っていたし、日本における当時のディラン信者はさておき、同年代の人間でボブ・ディランのレコードを聴く者はほぼ誰もいなかったのも自分がその音楽にストレスなく触れることに貢献したのだ。