我が家の父は帰ってこない。
私の記憶の中で、存在感がとても薄い存在となっていた。
部屋でゴロっと寝転んでテレビを見ている父親にギクっとしたり。
生玉子を直接白飯にぶっかけておもむろにほおばる姿に驚いたり。
牛乳こぼしたときに叱られて驚いたり。
それくらいしか、憶えてないのである。
帰らぬ父の必然か?病気の兄の必然か?我家は事業縮小モードに入っていくのだった。
店の住み込みの従業員には辞めてもらった。
「バー」は人に貸した。
借りたおばさんが、「ママ」と呼ばれていることで初めて、「ママ」の意味を多角的?に理解する事が出来た。
バーの従業員は新しい「ママ」が雇った女の子だった。
そのおねえちゃんの家に遊びに連れて行ってもらった。
そのおねえちゃんのアパートでは、若い男と女が数人、座り込んで、黄色い接着剤が入ったビニール袋を口に当てて、吸ったり吐いたりしていた。
知らないおにいちゃんがいった。
「何してるかわかるか?」
私は言った。
「ボンドを吸ったり吐いたりしてる」
おねえちゃんは私に言った。
「これは胃の薬なんだよ」
おにいちゃんたちはゲラゲラ笑いはじめた。
そして、「ママに言っちゃダメだよ」と言った。
また皆、ゲラゲラと笑った。
悪い事をしている大人との最初の遭遇だと思った。
「悪い奴だ・・・」
帰り道、ちょっと興奮した。
悪いやつと遭遇すると、「アホ」はヒーロー気分になるものなのだ。
後に、ママにはいわなかったが、兄や弟には「ボンド吸うと気持ちいいんだぞ」と言った。
勿論、実際にビニール袋にボンドを入れて吸う勇気まではなかった。
そのおねえちゃんはいつのまにかいなくなり、同じような新しいおねえちゃんがやってきた。
その後、おねえちゃんたちは次々に入れ替り、誰が働いているのか判らなくなっていった。
毎晩、ジュークボックスは朝型までなり、流行歌は催眠学習で憶えた。
多少の音で寝られないということはなかったが、大体において寝るのは遅かった。
兄弟の中でも私が一番最後まで起きていた。
布団の中で、色々な空想に耽っていたのだった。
朝型まで中華料理屋を明けていた母が時折様子を見に来るたびに、寝たふりをした。
時にはおねえちゃんや客の叫び声、あるいは何かが壁にぶちあたる音て驚くこともあったが・・・
そんな環境でも子供は育つ。
あくまでも、それなりにではあるが。(汗)
小学生になった私はかすかな野望に燃えていた。
(最初、信長の野望あたりを想定していたけど、楽天にはいろんな野望がありますね)
いや、その野望とは、
この「引っ込み思案」の性格に終止符を打つということだった。
他の子たちも、自分と同じように物を見て、考えているはず。
陥れようとしているのではなく、ただ単に皆、自分と同じように「アホ」なだけなのだ。
という認識が生まれてきた。
自分は、他の子たちと同じように「アホ」になってみせる、という野望だ。
(実際にアホだったかは関係なく、意識の問題)
これも野望キーワードで出てきたが・・・
悪代官の本、ちょっと読んでみたい気も・・・(汗)
通学初日、私の改革は成功した。
同級生に、「○○くん?」と言われた。
私は、勇気を出して、「なあに?」と返事した。
それだけですが・・・(汗)
幼稚園の頃の同級生が、「○○ちゃんしゃべってる!」と驚いた。
それなりに願いは成就したのである。
(そんな人間が、今子供に「ちゃんと返事をしろ!」と言っている訳である)
普通の子供への道は険しいのだった。
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