小学校で「普通の子供」になる野望を達成する事が出来た私は、同時に「阿呆」な「餓鬼」になる野望もほぼ達成したかのように見えた。
意地悪をしてくる相手には、立ち向かったし、弱い子や、女の子には、意地悪もした。
授業も殆ど理解出来たし、成績もそれなりによかった。
ただ、体育は全くダメだった。
喘息の発作で学校を休み事もあったが、基本的に毎日が楽しかった。
同級生で、決まった友達も出来て、毎日のように遊んだ。
当時の私はラーメン屋でもじゃもじゃ頭で味噌っ歯で耳デカということで、言われたのは決まって
あるいは
だった。
しかし、友達になったその男の子は、私をからかったり、苛めたりはしなかった。
運動も出来、勉強はいまいちだったが活発なその男の子は私にとって救世主のような友達であった訳である。
友達というものは絶対に必要だ。
この頃、私は人間的に大きく成長した・・・はず。
その友達の男の子も同じだったのではないだろうか。
ま、その子は若干の気になる癖はあったものの・・・
彼は、う○ちを投げるのが好きだった。
私はその癖を、彼の悪いところだと思ったのだ。
その欠点を私は執拗に突いた。
(というか、う○ちを投げられたのは私のほうだが)
そのため、私たちの友情は長続きしなかった。
しっかり勉強しておけば・・・うんちを投げられずに友情も長続きしたのだろうか??
給食は嫌いだった。
私は中華料理屋の子供だが、本質的に肉が入っているものは食べられなかったのだ。
こういうのは食べられたんだけど?・・・
こんな給食はなかった。
そこで、給食の肉は噛まずに飲む方法で乗り切った。
これも嫌いだったが、これは噛まずに飲み込むことが出来なかった。
当時、食パンは必ず2枚。
一枚食べて、食べられなかったら持ち帰るというのが、当時の学校のルールだった。
この本に書いてあるかは、不明・・・
最初のうちは残したパン1枚を、毎日持ち帰っていたが、もって帰るのを忘れる時があった。
そういうことが何度か続くと、机の中に、食パンが溜まっていった。
最終的には、食パンだらけになった。
当時の学校机は上蓋式で、閉めておけば中身は見えない。
開けるのが恐ろしくなった私は、そのままにして、終業式を迎えた。
始業式の日。
先生に怒られた・・・
これもそういう話なのであろうか?
(違うか・・・)
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