幼稚園は大嫌いだった。
何故か?
お祈りが嫌だった(らしい)。
私はカトリックの幼稚園を中途退園した。
(既にこの頃から、仕事を転々とする兆候があったのかもしれぬ)
なんとなく憶えているのが、母に手を握られて、新しい幼稚園に行ったこと。
そこの幼稚園児が皆、私を好奇の目で見た事。
女の子の一人が言い放った。
「あたしのほうがあんたより大きいんだからね!」
私は完全に萎縮した。
(興味のある人は画像をクリック・・・こんな人がいた訳ではないっす、念のため)
新しい幼稚園は「普通の?」幼稚園だった。
その幼稚園は、兄が行っていた幼稚園でもあった。
なぜ、私は「カトリック系の幼稚園」に行くことになったのか?
それは謎だ。
ま、色々な事情が出てくるのも怖いので・・・・
(理由を推理出来た方はコメントに書き込んでください)
しかし、その「普通の」幼稚園に転入しても、私自身はかなりヘコんでいた。
周りの子供達の目が怖かったのだ。
我の強い女の子や、悪戯な男の子の集団の中に入れずに、一言も喋れず、一日中他の子供達が遊んでいるのを見て過ごしていた。
そのように静かにしていても、黙って近寄ってきて、人の腕をギュ?っとつねる女の子。
その行動が理解できず、恐怖に慄いていた。
「なんで何も話さないの?」と男の子達によく言われたが、私は答えなかった。
彼らが恐ろしかったから、感情を知られたくなかったのだ。
何を考えているか、知られたくなかったのだ。
一つ言えるのは、完璧に、同年代の子供に置いてきぼりを食らってしまっていたということだ。
先生は中途入園してきた私に対してとても優しかったような気がする。
そして、先生が優しくした時に必ず、子供たちのジェラシーの目があったような気がした。
サングラスはかけてなかったが・・・
初めての集団活動で憶えている事は同年代の子供の妬み、苛め、責任転換、など。
今まで知らなかった感情を勉強する場というか、そういう時期なのかもしれないが。
幼稚園の日帰り旅行で、バスに乗るとき、泣いて拒絶したのを憶えている。
私はなだめすかされ、「これは車じゃないから」騙され、やむなく乗車し、車内で吐いた。
車が大嫌いだったのだ。
何故か?
臭いからだ。
当時、車の横を通るだけで気持ち悪くなったのだ。
パブロフの犬みたいなもの?
いや、検索したら出てきたけど・・・読んだ事はないです。(汗)
父の車で吐いて、叱られたことは記憶にある。
それ以来か、それ以後か、不明だが。(っていうかそれって同じか)
はっきり言えることは、その頃父親が嫌いだったってこと。
幼稚園で、楽しかった思い出は、一つもない。
そして、早くこんなところから逃げ出したいと毎日思って過ごしていた。
実際、「幼稚園に行きたくない!!」と言って、毎朝柱にしがみついていたのだ。
母は、こんな私の存在が辛かったかもしれない。
何故か?
ダメな子供の親は世間から責められるものだからである。
いずれにしろ、私は問題児だったのだ。
幼稚園年長の頃、兄が腎臓病で入院した。
原因は、しょう油の舐めすぎだった。
私は伯母(母の姉)の家に、兄が入院している数ヶ月間、預けられた。
それは私にとって、思いもよらぬ「楽園天国」となった。
大嫌いな幼稚園にも行かなくて済むのが最高に嬉しかったのだ。
避難所だった訳である。
非難セットも忘れずに・・・
母の姉の家はいわゆる団地であった。
地方の○○銀座と言われる商店街育ちの私にとっては全てが新鮮だった。
ありがたい事に、私と同年代の「ガキ」はそこの団地にいなかった。
(同年代のガキは幼稚園に行ってたから会わなかっただけだが)
私は団地の(幼稚園に行っていない小さい)子供たちの「ガキ大将」的存在となった。
ジャイアンのようなものだろうか。
小さい子をいじめてその子の親に直接叱られたりもした。
理屈は合っていたから、素直に反省もした。
いろいろな意味で、伸び伸びと暮らしていた数ヶ月間であり、幼いながらも人生勉強にもなった時期だったかもしれない。
そんな私を、唯一毛嫌いしていた人がいた。
伯母の子供、私の従兄弟、当時小学3年生。
勿論遊んでもらった楽しい覚えもあるが、彼から理不尽に怒られる事もあった。
嫉妬、である。
母親を取られたという意識があったようだ。
愛の搾取、である。
しかし、私は嫉妬に値するほど、当時伯母に愛されていたのであろうか?
私も伯母の愛を必要とした憶えもないが。(失礼?)
その頃、母に対しても、捨てられたとか、そんなことは全く思わなかったのである。
むしろ伯母の家に行く機会を与えてくれた事に感謝した程だ。
いや、抱きしめられた覚えなどないが。
愛憎は、そういうところから生まれてくるものではなさそうだ。
兄が退院出来る時期になった。
私は今までのように、自分の家に戻ることになった。
自分の家に戻るまでの数ヶ月間で、幼稚園における自信喪失から、私は若干、自己を取り戻しつつあった。
対人関係において、以前の私は全くなっていなかった。
子供の気持ちを理解する事が出来なかったのだ。
それを少しなら、出来るかもしれない、と考えられるようになったのである。
これは愛の力ではないと思う。
社会の必然的な関わり合いというか。
(それを愛という人もいるかもしれないが)
幼稚園に戻ったとき、「字が読める人はこのノートをお友達に配って」と先生が言った。
私は勇気を出して手を上げた。
「読めないくせに!!」と男の子が叫んだ。
確かに、休む前は読めなかった。
彼はその時点で未だ、字が読めなかったのだ。
嫉妬の目は、攻撃の目に変わるが、事実は変える事は出来ない。
そして、良い子の代表、デキスギ君のような男の子は、「これは○○○と読むんだよ」と。
私がノートを配り終わるまで、ずっと貼り付いてレクチャーしてくれた。
みたいな?
幼稚園は嫌いだ。
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当時の私に比べれば、うちのお子様たちのほうが数段マシかも?
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