母の自慢は、戦争中でも甘いものに不自由したことがないということだった。
そんな母は30代で既に入れ歯だった。
歯の質が悪かったのかもしれないが、昔は歯を磨く習慣が現代のようになかったのもあるだろう。
しかし一方で私は「貧富と虫歯」は密接な関係があるような気もしていた。
お金持ちの子は虫歯がなかったからだ。
私が「鬼」、「ドラキュラ」などのニックネームで呼ばれたのも、虫歯のせいもあったろうし、歯並びの悪さもあったと思う。
笑って自分の歯を見られるのは嫌だった。
子供の頃、虫歯の痛みに耐えられず泣いて過ごしたことは何度もあった。
それでも母は中々私を歯医者には連れて行かなかった。
たぶん、治療費が高かったからだと思うが、私が歯医者に行くことを嫌がったのもあるかもしれない。
小学校3年の時だったか、私は永久歯の前歯が乱杭になっていて、見た目が酷かったため、私は母に文句を言った。
「なんで自分だけこんな歯並びなんだ!」って。
母は私を歯医者に連れて行った。
その歯医者はとても無愛想で、私の口を一通り調べた後、おもむろに注射器を持ち出した。
私は凍りついた。
「口をあけて」
私は口をあけなかった。
歯医者はウンザリとした態度で、母を呼び、「これじゃあ治療できない、口をあけられるようになってから出直してくれ」と言った。
母はうなだれて、私はほっとして歯医者を後にした。
母は私に言った。
「歯並びを矯正するには30万円かかるっていうんだよ。そんなお金はないから、我慢してちょうだい」
歯並びが良くなるのが悪いことだとは思わなかったけど、注射されたりドリルで穿られるより、歯並びを我慢するのは問題ではなかった。
しかし、この前歯も結局すべて虫歯となり、前歯4本全てが差し歯になる高校の時点まで、私はまともに笑うことは出来なかったのである。