父の実家は、戦時中から裕福だったようだ。
いわゆるテーラーメイドであった。洋服屋が栄えた背景には軍服の需要があったらしい。
祖父は一代で富を築いたいわば叩き上げであった。
父は長男だった。
上には姉がいて、下には弟がいた。
姉は嫁に行き、祖父の亡き後、店は父が継いだ。
しかし実際に父がどれほど仕立屋の仕事が出来たのかはわからない。
小児麻痺で片足が不自由な父の弟は、実際の職人仕事をしていたようであった。(私が生まれた時は既に他所でテイラーとして開業していた)
母が嫁に来た当時は、実質的な経営の采配は祖母が振るっていたらしく、まだ使用人も多くいて、当時はまだ経営も傾いていないように見えたらしい。
殆ど仕事をせず家にいない父の代わりに、父方の祖母に、母はは厳しく命令されていたのが実情だったようであるが。
良い悪いは抜きにしてもほぼ間違いの無い事実として、その富の全てを使い果たしたのは父一人であった。
父は洋服屋を止めて、スポーツ洋品店を始めることにした。
父の弟は引越し、使用人の多くは職を失い、祖母は、亡くなった。
父は祖母のご霊前も全て使ってしまったらしく、母はこのときようやく、父のことを理解したと後に語った。
そしてスポーツ洋品店はあっさりと廃業して、中華料理店となる。
そしてもう一つ、バーである。
銀行に資金を借りたのは母であったらしい。
父は「何でオレには貸してくれないんだ」と怒ったという。
しかし結局、父は何かを現金に代えていて、貧乏な生活はしなかったのだと思う。
私が物心ついて憶えている範囲では、母は2件のお店の経営者であり、父は家にいたことがなかった。
母は、皆から「ママ」と呼ばれていた。
今でも、近所の人は母のことを「ママ」という。
父は「マスター」だったのだろうけど、私の憶えている範囲では店にいたことはなかった。
現在、母と兄が住んでいる家は、元々の父の家、一時期は「御殿」と皮肉交じりで言われたほど盛況だった時期のある、父方の実家の跡である。
私たちはこの土地で生まれ育ち、兄に関してはこの地から出たこともない。
しかし、ここに生まれ住んでいたルーツである、父方の仏壇はもうここにはない。
父と母が離婚した時、父が残した借金を母が返済する代わりに、家の権利を母に書き換えた。
判りやすくいえば、家を担保に借りた金の返済をしない代わりに、父は(親族も含めた)家族全てを捨てたのである。
母は離婚してからも長いこと、父方の先祖の入った仏壇を守っていて、父の姉や弟は元々生まれ育った家にお参りにもやって来ていたが、父のおかげで兄弟の故郷は無くなってしまった。
しかし、それでも父方の仏壇を父の兄弟が持っていったのは、私が成人してからのことだった。
そして、仏壇がなくなるのと同時に、父方の親戚とも、付き合いを続ける必然性が失われてしまったのだ。
父は生きているのを知っている。
しかし、私自身、現状で父と会う必然はない。