穂ガス紀元前その2、バンド編ちょびっと追加更新 – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

子供達を奮起させようと、小遣い倍にする作戦に出た穂高です。
その代わり怒られたら100円ずつカットするといって、既に今月は子供達の小遣い無くなりそうな勢いにビビっています。
さて、昨日の続き、穂ガス紀元前その2、バンド編です。
時はサーファーもヤンキーも、次の日にはパンキーになり、「テヘッやっちゃった!」で済んでいた、お気楽な時代。
私とおない歳の高田伸彦が第一試合で負けていた頃。
私はデザイン学校で、授業はおざなり。
栃木県佐野市出身で、小太りヘビメタ、ジャーニー、スティックス好きな佐野君が、「ば、ばんどやらないけ好きだろ?」と誘って来た。
「すたじおでじゃむるべ」
「あああ・・・・いいよ」
ということで、私はスタジオ入って遊んだ。
佐野君のカセットに入っている曲を音とりして、ベースを弾くってことだ。
その時のメンバーは、私アリプロジャズベース、身長185cmでフェンダームスタング自慢ちょっと音とり難あり高中正義ファンの○ベツカサ、トーカイレスポールサンバーストもどき使用佐野君、ドラマーは・・・名前忘れた。
が、ドラマーと佐野君の外見は、インパルスそっくりだった。
私と○ベツカサは・・・いつもここから金髪と、アンガールズって感じか。
(アドリアン・アドニスと馬場のほうが判りやすい人もいるかも)
ま、今でいうカラオケボックスのようなノリというか。
私はベース弾きながら「ハイウエイスター」なんかを叫んで遊んでいた。
「げへへへへへ、すげえなあおめえうめえよ!」なんて言われて気をよくしていた私自身もかなりキモイ。
「そうかい?そりゃどーも」なんていいながら佐野君のギターを褒めない私。
いや、下手じゃなかったけど、体格とイントネーションがちょっと・・・
それに、私は基本的にパンキーな奴で、ディープパープルのレコードも聴いたことなかったのだ。
そんな私だから、佐野君は直ぐに浮気した。
他の連中に「すたじおでじゃむるべ」と声かけまくっていた。
インパルスそっくりドラマーは、学校辞めた。
私と○べツカサは、リズムボックス使って「じゃむるべ」をやって遊んでいた。
そうこうしていると、いつのまにか、学園祭実行委員になっていた。
理由は・・・
担任の先生、名前は無我代表と同じ西○、
よく飯食いに連れて行ってくれた。
カードで。
先生の魂胆は感づいていた。
女子生徒好きなのだ。
が、便乗してついて行けば必ずオゴってくれる、素晴らしい先生だった。
その西○先生が、「実行委員やると、成績よくなるかも・・・」と言った。
お気に入りの女子生徒にオールAを振舞うことは有名な話。
オゴってもらった野郎どもは全員、「やる!!」ということになる。
で、この野郎どもが、佐野君浮気相手のバンドメンバーだったのだ。
そして当然の流れというか・・・学園祭で合同演奏することになった。
メンバーは・・・
ギター、佐野君。
ギター、前述185cmアンガールズ風○ベツカサ。
ギター、通称トチギ、後のエロ漫画家、穂高アキラ。
ベース、「ウエ?イウエ?イ」が得意なウエッピー。
ドラム、後の穂ガス競馬管理人、カブマシン。
ボーカル、サバ読みスタイリストM子姐ちゃん。
ギター兼ベース兼ボーカル、私。
かなり楽器カブってますけど・・・
私の楽器が被っている理由?
一言で言えば、皆下手だからでしょうか。
自慢?いや?・・・基本はシンガーですから。
こんな寄せ集めのため、レパートリーも雑煮状態。
RCサクセション、セックスピストルズ、ジャーニー、ポリス、等・・・
各自が好きな曲をやらせろって感じだ。
そうこうして練習に励んでいると、じゃむるべ当事者の佐野君が辞めると言い出す。
「ばかやろうめこのやろうめふざけてんじゃねえなにいってんだおめえ」
と、問いつめても、人の前で演奏するつもりじゃなかった・・・ってさ。
たしかに、「じゃむるべ」と言っていた訳で、「スターになるべ」とは言ってなかったもんな。
まあいいや、去る佐野は追わず。
ということで、私たちは正式に一つのバンドとなって、再スタートをする。
バンド名は、
「東京バーストダイナマイトナイトクラブ」
付け加えれば、私がつけた名前ではない。
私は、「タイガーマス」と提案したのだが、却下された。
我々は実行委員の権限で、学園祭PRポスターを作った。
そのポスターとは、我々メンバーのモノクロ写真を数十枚、ペタペタ貼った上に学校名が書いてあるだけという、シンプルかつ大胆、学校の予算で自分達の宣伝を効率よく行うという、「ライ・チート・スティール」の精神に則った代物だった。
今は持ってないのが残念だけど。
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そんなことやって殆ど勉強していなかった私だが、アルバイトはしっかりやっていた。
街角のサングラス売りだ。
午前10時に店を開け、12時過ぎに学校へ。
学校が終わり、原宿から歩いて渋谷まで、5時から8時まで。
休みの日はフルタイム。
座れないのが難点だが、こんな楽な仕事は他にないと思っていた。
そんな時に、ちょっとした転機が訪れる。
渋谷の駅前、○井デパートのテナントでもやっていた街角1,000円サングラス売り。
その責任者が、酒の匂いをプンプンさせていたということで、クビになった。
その後釜を、F氏にやってくれという。
売り上げは、公園通りの3倍近い店だ。
そして、ここも継続してやってくれということらしい。
つまり、2件任されるということだ。
アルバイトは、私一人だ。
「おまえ、学校辞めて、この店の責任者になれ。オレは向こう専属でやる、バイト連れて来い、休憩出来ないからな」
学園祭秒読み段階で、F氏にこう言われた。
私は、「わかりました。」と言った。
ということで、学園祭の次の日から私は学校に行くのを止めた。
事実上除籍だ。
サングラス売りのバイトは、バンドのメンバーをローテーションで使うことにしたのだった。

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