スキンヘッドから、金髪アフロ – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

昨日もちょこっとしましたが、引き続き、ヘアースタイルの話。
私は三沢光晴と同じ昭和37年寅年生まれ。
高田 延彦とも同年代。
[1962年に生まれた人々]に興味があれば、こんなページがありましたのでご参考に。
デビル雅美もそうか。
怖いな・・・
ということは、武藤敬司とも同年代ということになる。
プロレス知らない人は知らないかもしれないが、武藤敬司は新人時代にはカッコいい男として売り出すつもりがあったようだ。
主演映画もあるし。
しかし、今は・・・
武藤敬司・プロレスの砦
薄くなった頭髪をバッサリと捨て、こんな姿で頑張っている。
それに影響を受けた訳ではないが、私自身、パンク全盛時代の若者だったため、以前からスキンヘッドというものに憧れがあった。
でも、頭が尖っているため、モヒカンならともかく、ツルッパゲはいかがなものか。
ウルトラマンのようになると思い込んでいたのだ。
私自身、天然パーマの自負?のため、若い頃はカリート・カリビアン・クールのような髪型ばかりしていたので、そのギャップに自身が耐えられないような気もしていた。
それでも靴職人時代には、新気一転、バリカンを買って初めて坊主頭にチャレンジしてみた。
その際、頭の突起がそれほど違和感なく感じられたので、これは案外、スキンヘッドもいけるのかも、と思っていた。
「清原みたいっすね!」と言われたのはショックだったが・・・
そして、失業したのが去年の2月末。
ついに長年の夢だったスキンヘッドに挑戦する絶好の機会を得た。
剃るのは結構難しかった。
特に後頭部。
剃ったら気持ちいいかと思ったら、ヒリヒリして痛かった。
しかも、うっかり頭ぶつけると強烈に痛い。
そこで、日常的に帽子が必要になった。
意味ないじゃん・・・
さらに、私は大事なことを忘れていた。
次女(実子)の保育園、卒園式のビデオ撮影をしなくてはいけなかったのだ。
あわてて伸ばしても延びるものではないし、ヅラを用意するのもアホらしい。
仕方がないので、フォーマルスーツにスキンヘッドという井出達で、ママさん、パパさんが集まっている謝恩会に出席した。
一部のママさん達にはウケて、一緒に写真など撮って、遊ばれた。
知っている子供達には、頭をペタペタ触られた。
一部のママさんたちにも、頭をペタペタされた。
ふふふ・・・人気者だぜ、オレ。
しかし、実際にはゲイというより、宗教関係の人のように見えたらしい。
線が細くて、残念だ。
(何を期待してるんだか)
でも、初対面の人や面識の浅い人は、特に気にしている様子でもなかったから、これでもいいか?という感じであった。
しかし、普通の人とは思われてなかったかもしれない。
その当時の記念写真です。
スキンヘッド
サンプラザ中野ではありません・・・・
私の住んでいる地域は外国の方も多く、片親の方もいるし、なにかしらの障害をもつ家庭の方々が多い地域だ。
長女、長男が以前住んでいた地域と比較しても既定と定義される範囲が広いというか。
ある意味、開かれた地域であり、ある意味、平均値の低い地域だ。
こういう言い回し自体が偏見を生みそうな気もするが、金髪にしても、スキンヘッドにしても、殆ど誰も、ビビってはくれないのである。
住むにはデンジャラスだが、教育にはいいと思っている。
勿論、いい点を取るという意味でも、進学にいいという意味でもない。
私が金髪にした理由の一つは、長男が同級生で金髪にしている子がいて、(たぶん親にさせられたのだと思うのだが)自分もしてみたいと言い出したことが発端だ。
当然、義母も妻も反対した。
しかし、反対する理由は、的を得ていないと思った。
なぜ金髪にしてはいけないか?
同級生はしている。
生まれついて金髪の同級生もいれば、天然パーマの同級生もいる。
私自身、天然パーマが珍しい地域で育ったため、バカにされて育った思い出がある。
小学生の頃はラーメン頭、インド人とバカにされ、中学、高校ではパーマを取れと言われた。
先輩だけでなく、先生にもだ。
そんな教育が正しい訳がない。
だから、私は日本人の一般的家庭が持つ、規定の観念が大嫌いなのだ。
私は、「じゃあ、オレと一緒に金髪にしてみるか?」といったのだ。
金髪になった私の頭をみた長男は、「やっぱりやめとく」と言った。
反面教師・・・ですかい?
ま、お望みどおりの結果となり、妻も義母も満足です。
私も満足です。
なんだかんだいって、一度は金髪にしてみたかったのです。
次のチャレンジは、金髪アフロですか。
天使の歌声
これも、多くの偏見と戦っていかなくてはいけないような気もするが・・・

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