もし、パパが生きていたら – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

私も先日の継子に対する軽はずみな日記から、多くの方々に迷惑をかけ、不快な気持ちを残してしまったこと、責任を感じていますが、具体的にお詫びをするのもなんだか変な気もしますし、現実逃避系、お気楽日記を書いていました。
人の生き方はそれぞれ、考え方もそれぞれです。
私の基本はお気楽系です。
自分の素性に関して多くは語りませんが、私も楽天で日記を書かれている方々のページを見て、その影響で自分の日記を書いていることが殆どです。
時には変態系、時にはシリアス系、理解不能かもしれません。
でも、どちらも自分です。
人との係わりで日々生きてきた訳で、常に真面目だった訳でもありませんから。
共感されなくてもちょっと悲しいだけで、別にかまわないのですが、共感されれば嬉しいです。
今日もまた現実逃避系の日記ですが、それほど軽いテーマではありません。
私の家族には辛いテーマになります。
始まりから既に支離滅裂系になってますけど、今日のお題は、「もし、パパが生きていたら」
その頃、私たち夫婦は現在の家で、実子1人と暮らしていた。
自分の子供を育てることで精一杯だった。
上の2人の子供は、将来のことを思えば不安だらけだったのは事実だけれど、パパもいる、ちゃーちゃん(義母)もいる。また、同居している、長男夫婦もいる。
私たちの演じる役所は、オバサンとオジサンだった。
勿論、当時から手に余る悪ガキだった訳で、甘やかしていた訳ではない。
遊びの中のルールを教える大人としての役割をしていたのだ。
その中で文句もいい、励ましもし、気を遣っていたつもりだった。
ただ、実際にどれくらいの思いなのか、それは所詮、他人事になっていたと思っている。
この子たちのパパには、付き合っていた彼女がいた。
子供達も、この「Sおねえちゃん」が好きだったようだ。
私は、Sおねえちゃんとあまり話をしたことがなかった。
子供達と一緒に遊ぶ際に、世間話をした程度だった。
義母が妻に言ったことを聞いたくらい。
どの程度の覚悟があるのか、そもそも、結婚する気があるのか、判らなかった。
でも、パパは、Sおねえちゃんと一緒に子供達を遊びに連れて行き、家にも連れてきて、ゴハンを食べたり、義母とあわせようとしていたようだった。
出来れば、結婚するつもりだったのだと思う。
妻も、義母も、賛成はしていなかったし、具体的な話までいってなかったと思う。
義母が反対だった一番の理由は、育てられる訳がない、と思っていたのだと思う。
義母の、大人になりきれないパパに対する感情は、とてもここでは言い表すことが出来ない。
前妻(ママ)は、全てを義母に押し付け、私たち夫婦にも押し付けた。
そして、自分のやりたいように生きて、覚醒剤で身を破滅させていった。
子供に虐待までした。
前妻の家族も、また、前妻自身も、本当に私たち家族をかき回すだけかき回して、縁を切って行ったのだ。
それらの過程で、助けてやれなかったのは私たちの責任もあると思う。
でも、私たちは出来ることはしてきたつもりだし、今でも連絡があれば、相談に乗る準備もある。
ただ、正直言って、関わってもらいたくない。
これも本心だ。
ここでは書ききれない色々な感情があるのだ。
ママとSおねえちゃん、どれくらい違うのか、たぶんパパも話していたと思う。
接していれば大体は判る。
でも、そんなに簡単に賛成出来ない複雑な感情があったのだ。
そのSおねえちゃん、ママとは違って、気持ちの優しそうなおねえちゃんだった。
ただ、その優しさゆえに、現実の重さに戸惑い、悩み、パパと別れ話もし、またなんとかやっていこうと、話していたようだ。
パパが死んだ時、Sおねえちゃんはず?っとついていた。
私はそのとき、はじめてSおねえちゃんと話しをした。
パパと一番最後に話しをしていたのは、Sおねえちゃんだった。
「これからなんとかやっていこう」という話を、涙ながらにしていたのだそうだ。
私に言えることは何もなかった。
もし、二人が結婚して、子供2人を引き取って、家庭を築いていたとしたら、どうなっていただろうとも思うこともある。
上手くいっていたかもしれないし、とても大変な思いをしていたかもしれない。
でも、叶わなかったことを考えても、何もならない。
今日の教訓「過去に浸る暇があったら、今を生きるべきだ」なのですが・・・
実際には、現実逃避を繰り返しています。
私が継母の方たちのブログについ見入ってしまう理由も、子育ての悩みは勿論ですが、今日書いたことがもう一つの理由なのかもしれないな、と思って、ちょっと辛い過去を書きました。
支離滅裂、わかり難い、お許しを・・・私も良く判ってませんから。

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