Atypical Ways

Atypical Ways

鬼歯

母の自慢は、戦争中でも甘いものに不自由したことがないということだった。
Atypical Ways

天然

私は生まれついての『天然パーマ』だった。また、私は鼻が高い子供だった。
Atypical Ways

緘黙(かんもく)

幼稚園に何年行っていたのかは憶えていないが、2年は通ったのではないだろうか。
Atypical Ways

転園

私は幼稚園を一度替っている。最初の幼稚園は、教会のある幼稚園であった。
Atypical Ways

母方の祖父

母方の祖父は、ざい(在郷)の出身だった。城下町に住む人間たちからすれば蔑まされた血筋の出身という差別的含みはもしかするとあったのかもしれないが、空気を読むニュアンスの中で決して直接的に語られることはなかったと思う。
Atypical Ways

ざい(在郷)

私が生まれ育ったのは北関東の城下町だ。城下町とは町名に特有の名前がついた場所がある。鍛治町、倉内町、材木町、上街、中街、下街など。
Atypical Ways

父のルーツ

父の実家は、戦時中から裕福だったようだ。 いわゆるテーラーメイドであった。洋服屋が栄えた背景には軍服の需要があったらしい。 祖父は一代で富を築いたいわば叩き上げであった。 父は長男だった。 上には姉がいて、下には弟がいた。 姉は嫁...
Atypical Ways

母のルーツ

母は幼少時代を川崎で過ごしたと聞く。時代は戦時中だった。
Atypical Ways

1962

1958年、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表した。 1957年に聖心女子大学英文科を卒業していた美智子はその年の夏、皇太子と軽井沢で親善テニス・トーナメントの対戦を通じて出会い、皇太...
Atypical Ways

記憶

乳児期の記憶が鮮明に残っている人間が果たして存在するのだろうか。 もしいたとしたら、是非ともどんな感じであったのか訊いてみたいものである。 人間の発達的見地から考えて、仮に乳児期の記憶が鮮明であった人がいたとしても、それを言語的に説明す...
スポンサーリンク