言葉尻だけの真実 – なりゆき主夫のリアルな日常 – 楽天ブログ(Blog)

私は休日を1日間違えていた。
子供達は今日も休日だったのだ。
昨日のうちに学校の支度をさせておいたのだが。
(私だったら月曜日の時間割でそろえそうだ)
昨日の晩御飯は、ビビンパ。
ごま油使えばそれだけで美味いというものだ。
ご飯の後、子供達は順に風呂に入り、テレビで「義経」を見ていた。
テレビも終わり、長男に「歯をみがいたか?」と訊いた。
「みがいてない」というから、「みがいてきな」と言った。
長女にも「みがいたか?」と訊くと、「みがいた」といった。
次女には訊かなかった。
さっき、風呂からあがってきた時に、歯をこすって「キュッキュって音するでしょ」と言っていたので、磨いたものと思い込んでいた。
長男が洗面所からやってきた。
「おねえちゃん、歯を磨いたっていってたけど、じゃあなんで歯ブラシが濡れてないの」
長女は答えない。
私はテレビを消した。
長女に、「説明してきなさい」といった。
次女も洗面所にいった。
長男は、次女も歯を磨いていないと言った。
私は長女と次女を呼んだ。
長女に訊いた。「歯をみがいてないのか」
長女は「みがいた」
次女に訊いた。「歯をみがいてないのか」
次女は「みがいてない」
面倒なことになった。
長女に、言った。
「なんで歯ブラシが濡れてないのか説明してきたのか」
「・・・・・・」
「みがいたんだろう?」
長女はうなずく。
「だったら説明してきなさい」
「・・・・・」
私は丸めた新聞紙で長女の頭をひっぱたく。
ついでに次女もひっぱたく。
「説明出来ないんだったらもう一度磨きなおしてこい」
面倒くさいことになった。
しばらくしてから洗面所に行った。
長男に、「なんで歯ブラシ濡れてないのか教えてもらったか」と訊いた。
「教えてもらってない」という。
長女に「教えてないの?」と言う。
答えはなし。
私は「歯をみがき終わった順に寝なさい」と言った。
長男は「おやすみなさい」とあいさつ。
次女は「おやすみなさい」と「嘘ついてごめんなさい」とあいさつ。
長女がだまって行こうとしたところを呼び止めた。
「言うことがあるだろう」
「おやすみなさい」
「それだけじゃないだろう」
「ごめんなさい」
「何に対して謝っているんだ?悪いことしたのか?」
「嘘ついた」
「歯を磨いたんじゃないのか?それは嘘なのか?」
邪魔な長男や次女がいなくなったので、私は長女を私の前に座らせて、目を見て話をするように言った。
凄い形相で私を睨みつける長女。
いや、緊張のあまり凄い形相になっているのだろう。
ため息までつく。
私もマネしてため息をついた。
「すごく感じが悪いと思わなかったかい?」
「はい」
「そう思ったらやらないで」
「はい」
「じゃあ説明してもらおうか、歯をみがいたんだろう?」
長女はうなずく。
「歯ブラシではみがいてないんだろう?」
「・・・・」
「何でみがいた?」
「・・・お風呂に入ってるときに、指で磨いた」
「何でそうしようと思った?」
「パパがそうしてたから」
「パパがちゃーちゃんに歯を磨いたか訊かれたときに指で磨いておけば磨いたって言っていいっていったのか?」
「ちがう」
「じゃあそれは自分で、歯を磨いたかって訊かれたときに、指で磨けば磨いたって答えてもいいって思ったのか」
「・・・・」
「いいかい、おまえは一つ間違えているのを教えてやる。指で磨いたというのは歯を磨いたとは言わない。それは指で歯をこすったというんだ。つまり、おまえは歯を磨いてないってことだ。」
私は続けた。
「ここまではわかったか?」
「わかった」
「虫歯になりたいのか?」
「なりたくない」
「指でこすれば虫歯にならないと思っているのか?」
「思ってない」
「歯を磨くのが面倒くさいのか?」
「・・・・」
「面倒くさくても歯を磨かなければ虫歯になる。虫歯になれば痛いだけじゃない。お金がかかる。お金が歯医者にかかれば、そのお金のぶんだけおいしいものを食べる回数は減るし、遊園地に行く回数も減る」
「ディズニーランドも?」
「行けなくなるかもしれない・・・」
行く予定はないが。
とにかく、歯を磨かないことによって凄まじく損をするということを教えたかったのだが。
身についたかは、不明。
「じゃあ、明日からは指でこすったことを歯を磨いたとはいわないで」
「はい」
「じゃあ今日は寝なさい」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
これで明日から歯を指でこすったことを歯を磨いたとは言わなくなるだろう。
しかし、長女との会話は全てがこの調子である。
宿題は「した」
やることは「した」
都合の悪いことは「・・・・」
自分の都合のいいように物事を捉える能力は人並み外れて優れているのである。
どんくさい長男とは根本的に違う。
自分の好きなオカズは真っ先に一番大きなものにツバをつける。
そんな長女は当然のことながら、嫌われる。
この能力にちゃーちゃん(義母)も、妻の義妹も、妻でさえもやりこめられてしまう部分がある。
そして、仕方がないと、諦める。
しかし、そうこうしているうちに長女の人格は容赦なしに形成されていくのだ。
私も長女が小さいうち、(まだ両親が健在だったころ)この子は確実に苦労するからサバイバルに生きていく術を身につけるべきだと思っていた。
私が面倒を見るわけにはいかないんだから・・・
実際に、私が面倒を見ることになった段階で、私が以前思っていた、「人を出し抜いてでもなんとか生きていく術」で、私自身が出し抜かれている現実に直面している。
考えすぎると、気持ち悪くなる。
焦っても仕方がない。
また寝て、また明日である。
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